h18年の東伊豆町の風力被害から、それが全国に広がっていることを見て来たことと思う。そして今、それらの被害者たちがどこにもいなくなって、誰も何も言わない、被害隠蔽の罠に閉じ込められている。たくさんの風力被害者が苦しみ狂い死んでいったことは分かっている。世論操作、社会コントロールの実態を見ただろう。各地でやっている「考える会」お花畑の環境運動会は、どうだい。
【専門家が言うてるんや、オマエなんかが何抜かす】と叫ばれてきたよ。被害があるから風力発電に反対・抗議しているのに、それらの人の目的が別にあるのは明らかだったよな。初めから、「あの人たちは何者で、いったい何を目的としているのか、そのことを知ることが先決でしょう」と言われてきた。みんなが知っているはずなのに、その真実は隠されたままで、『風力を考える会』は大賑わいだ。
ヘンテコな御用学者を担いでは「土砂崩れが心配です」と繰り返す。マントラ、呪いの呪文よ。人々の心に摺り込んでいく。その反復が洗脳とか心理操作になる。集団ヒステリック、集団催眠術を演出しているんやね。ドイツのナチス運動なんか典型やないか。人々に暴力に対する需要があったんだろうけど、まるで罪の意識もなく殺戮に大喜びするようになる。日本だって同じ事なんやで。
人は、社会は、心理学的に簡単に操られる。当事者にされたら、自覚症状もなく大衆の中にのめり込んでいく。そこには道徳なんてない。高揚感、ハイになって命じられた言動をすることになる。権力の手先になって、力を得たと思うんやね。「考える会」の主催者には、じつにそんな奴が多く見られる。悪党なことはこれまでの経緯を見れば分かるだろう。
風力発電の低周波で被害に遭えば、その人がどんなに苦しむのか分かっている。その中身は、先日から紹介している『死に山』に書いてある。狂気の沙汰。これが実態だ。環境省の調査報告書(h23)には【精神疾患のもの】と書いてある。被害者になれば、そのようになるんだよ。同じ記述は、ニーナピアポントや汐見先生の本にも書いてある。被害者になると狂うんだよ。
だからいいように弾圧して懲らしめて消し去る。その哀れな虐待風景がな、とても許せなかった。加害者側は権力を持って自信たっぶりに笑っている。同じ被害地域に住みながら、優越感と悪意・憎しみが爆発する。どちらもヒステリーだから、見分けがつかんほどに狂っている。これも低周波の精神的な影響だろう。攻撃的になるんだよ。つまりな、地域丸ごと操られている。
水俣や福島はそうなっているでしょう。被害者は声を上げられない。戦時中の憲兵や特高警察みたいに、人の心の内まで踏み倒す。一度やったら止められない。権力者になったと信じ込むんやね。恐ろしいことだよ。もはや地球温暖化でも脱炭素でもない、支配が目的化されていた。高齢化社会、人口減少と経済の衰退、そりゃぁ、効率化せなあかんわな。風車の建つ町なんていらんとこやと気が付くやないか。
分からないのはそこに住む人だけか。本当に誰も何も言わなくなった。私に対する敵意ばかりよ。先日は正月の挨拶に寺に行ったら、私だけ、抹茶を出してくれなかった。他の客は次々と抹茶と饅頭を頂いて帰っていく。お茶をくれんのか、と催促したけどそれでも出てこない。人々は大喜びよ。我家は千年もこの寺と関係してきた。寄進もして高い年貢を納め続けてきた。
その結果が人々のあざ笑いだ。由良守應だって寺に墓があって彰碑まであるけど、人は、刑務所に行っていたんやでとほくそ笑む。その程度なのだ。腹が立つけどこれも役割か。私だからこそ人々の嫌悪を一身に受け止める。そう言えば以前は、この寺に入ってくるな、と叫ばれたことがあった。我家は高野山だから、とくにどうということもないけどな。それほどに私を嫌っている。
人々は真剣に怒っていたで。おお怖ワ。こんなに人々は団結して意思を強固に固めている。絶対に「Stop wind turbines !」なんて言葉はない。被害はない。オマエは間違っている。村八分だ。総スカンだよ。面白い社会現象だと思わないか。隣町の広川町や日高町でも同じ気配なんやで。もちろん東伊豆町や南伊豆町でもこうなっている。ただ、私のような天然記念物はいない。
私だからこそ、堂々と風力発電の被害を訴えている。日本では私一人になった。名誉の勲章よ。源氏の末裔、こんな所でスイッチが入った。あるべき姿か。周囲の人とは違う、何か崇高な理想がある。真実は多数決じゃない。自分が何者なのか分からせてもらった。答えは初めからあるんだよ。トテモ奴隷には付き合えん。




