風車を撤去しろ。

由良町で風車被害を見ながら、どうして住民たちは何の抗議もしないのか不思議に思ってきた。とくに風車の麓は大変な低周波音に襲われている。風車から1.2㎞離れている我家にだって、卓越した被害成分を持った低周波音が覆っている。とても苦しい。h23年、畑地区では大勢の被害者がいて苦しんでいた。役場に助けを求めると「アンタだけですよ」と拒否されたことは有名だ。

私などは「電話してくるな」と拒否された。エライ剣幕で怒られたよ。権力丸出しの弾圧だった。苦しみの声を上げながら被害者が死んでしまう。それを見たのは私だけではない。少なくとも、畑地区、中地区、門前地区、風車から3㎞の地点まで被害者がいた。距離もあるけど、被害症状のレベルも様々だ。家の中にいられないので、表に停めた軽トラで朝までの時間を過ごす。

寝るのではない、体を休めるのだ。霜の降りる寒い冬の日はさぞや辛かっただろう。地獄の底を覗き込むようにしてその人らは消えていく。多少の交流があって、6人ほどの被害者と話し合った。すぐに裏切っていたけどな。役場職員もいて、宮仕えも大変か、いやその無責任さがな、泣いて済む話じゃない。死んでしまえ、何とかしろ、と私は思ったよ。そんな過激な低周波被害の現実がh23年からあったのだ。

実際は、h20年からだが、自殺だったり、役場の隠蔽工作が厳しかった。2000kw、5基が出来て、ワッ、と被害が広がった。それも書類上、1500kwと書いてあったものが、いつの間にか2000kwの大型風力になっていた。もちろん役場は知っている。その時、隣町の広川町や、下津町大窪地区では、大変な風車被害が有名になっていたし、汐見先生が冊子にして全国に被害情報を発信していた。

つまり役場や議員は、分かっていて核心的に風車の建設を進めた。竣工式には役場や議員が全員出席して祝っている。私は遠慮したよ。一人だけの反逆だ。奴らの雰囲気が、どうにも怪しくてな、恐ろしいと感じたのだ。予感は大当たりよ。その後、懲罰議会が繰り返される。嫌なものを見てしまった。いや、いいもの見せてもらった。悪の花園よ。

r8.1.15 日、広川風力跡にて。六芒星を見る。