私への嫌がらせの弾圧を見て、人々は喜んでいる。とくに由良町では勝ち誇っているだろう。子供の頃、「守應は刑務所へ行ったんやで」と言われていた。8才、9才の子供が分かるはずもなく、親たちが言う言葉を真に受けたんだろう。私も深く考えることはなかった。年取ってから、添付の罪状を見て、結構派手な活躍があったことを紐解いている。安政の大獄か、詳しい理由はまだ分からない。
湯浅町には菊池海荘という人物がいて可愛がってもらったという。幕末風雲録が書き残されていて、たぶん守應の事もあるに違いない。教育委員会などに聞きに行ったけど断られた。秘密主義だね。表に出ている人物像としては、明治天皇の馬車係り、岩倉具視との欧米視察、二階建て馬車の経営とエンジンの開発だ。清水御門前の4291坪の土地建物も何か意味があるに違いない。
千葉道場の剣士たちと乳牛や羊を飼っていたという。明治五年のことだから西南戦争の前だ。匂う。こういう過去を前提に今がある。風力発電は嘘八百だ。由良町の人には意味が分からない。添付の罪状みたいに、理由もなく笑うか。和歌山から追放された。これは事実だ。牢屋暮らしがあった。竹かごに入れられて見世物にされたとある。それが何で京大阪、そして東京で活躍することになるのか。
神坂次郎は楽しい物語にして本にしてくれた。NHKでも1時間番組になったから見た人もいるだろう。罪状とは釣り合わない。紀州藩士にもなっているし、どんでん返しがあるようだ。少し前に我が家でも出世した人がいたらしいから命拾いしたのかも。我が家は旧家だからたくさんの言い伝えが残されている。紙に書いたものはすべて曽祖父が坊さんの読経とともに焼いてしまったと聞いた。
高野山とか、興国寺へ行ったら多少の記録はある。今回の私への弾圧も、表ざたになっている話はただのペテンだ。真実は何だろう。きっと当人たちにも分かってない。仕事でやっているだけ。苦しみながら死んだ被害者たちがいる。それを笑いものにするんだからかなり悪い。私は、守應じゃないけど、とうに結果を見ている。100年経っても、刑務所へ行ったんやで、と笑われるんか。



