風力発電の愚かさと残酷さと

海南市から有田川町への街道で、たくさんの風力反対の看板が名物になっていることを伝えてきた。旧下津町大窪地区の風力被害は有名だからね、同じ地域に住みながら、低周波被害と弾圧の凄さを知らぬものはない。しかしな、誰一人として「被害者がいて苦しんでいるから止めてくれ」という人がいないのだ。とくに有田平野では被害者、被害地域の悪口ばかりさ。

平野部から見ると山の上に見える風車でも、そこから海南市にかけてはあちこちに集落が形成されている。初めから「風車の音がうるさい」と聞いていた。平野部に風車音は聞こえない。距離的には2~3㎞だから低周波被害があっても不思議じゃない。風車が見えないと、たとえ体調不良があっても原因に気が付かない。もし風力被害の実態を知っていたとしても、それを言葉にして言ったところで、何の話になるか。

ワシらには何も聞こえない。断絶、地域格差の壁を見る。本当は土砂崩れやで、という。つまり被害者の否定と嘲笑いだ。たぶんもうみんな分かって言っている。被害が面白いのだ。距離的に見渡すと、平野部であっても山の麓の集落に被害者はいるだろう。大きな谷になっている。低周波の通路となって民家を包み込んでいる。差別の厳しい地域だから、安易なことは言えないのだろうか。

水俣病でも、地域の差別心がネックになった。あんなになるんや、と被害を見ながら、ご自分も同じ被害環境にある。そこに何で対立になるのか。由良町みたいな小さな谷あいの町でもさ、被害者差別はすごかったで。今は私一人が嫌われ者になっているけど、h24年、10年前の被害者たちの虐められようは哀れなものよ。弾圧の嵐に泣き叫んでいたよ。手を叩いて笑い踊る奴もいたけどな。

それほど人の苦しみや不幸が面白かったのだ。私の住む門前地区でもな、普段は気が付かない人の悪意とか憎しみがあふれ出していた。「ワシらは役場が正しいと思っている」、【アホよら、アホよら】とわざわざ言いに来るのだった。鈍感な私にも、よく分かりましたよ。私が特殊な立場に置かれていたとしても、誰も味方になるものはなかった。それは海南市の南側の山々に住む人たちにも見られる光景だ。

「風力は絶対に嫌だ」と言いながら、今ある被害者の苦しみには知らん顔を決め込んでいる。誰も助けない。溝に落ちた犬を叩いて喜ぶか。とくに目の前に広がる有田川町や日高川町の風車群を見ながら、なんの思考も頭にはない。被害者がいることは分かっている。被害の現実に、思考も意思もないのかい。ペテンのエセ反対、いやいや、被害を否定する御用学者を担いでいるから風車教になっている。

カルト邪教の人々を見る。ナニ、何も分からないロボットかオウムなんだよ。摺り込まれた文句を繰り返すだけだ。人間としての意思はないんかい。そうよ、風力発電によって、人々は支配されてしまっていた。有田地域だけじゃない。由良町だってそうだし、東北地方や北海道なら、なおさら人々の空疎な言葉を聞くことになる。精神支配もここまで来ればなんでもできる。

不思議なのは、世界ではとうに「風力発電は危険だ」と常識になっているのに、日本にはその考えがないことだ。各地でやっている「考える会」とは、風力支配の先端だと分かるだろう。これも最初から指摘されてきた事実だ。「あの人たちは何者で、いったい何を目的にしているのか、そのことを知ることが先決でしょう」と言われてきた。違うな、と見破る人はいたのだ。私だってすぐに分かったよ。

役場でも、あれは反対でも何でもない、と教えてくれた。役場とか行政と一体となったトリックだったのだ。そんな支配が日本の各地で行われている。低周波被害者の会の汐見・窪田が、いくら被害地を調査して教えても拒否されるはずさ。彼らはピエロなんだよ。被害者はとうに人ではないしな。頭をやられる。精神破壊だ。人間破壊された被害者たちを見ないか。その録音をもう一度聞いてくれ。地獄の風景やで。それでも笑うか。

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