風力の目まい。

朝から低周波の目まいでしんどいことよ。ヘンな音が鳴っているから、脳髄にダメージが浸み込んでいるんだろう。ほかの被害者たちの話を聞いているから、皆さんジッと、助け出されるのを本心で待っている。風車狂になって喜んでいる人は、何か個人的な理由がある。同じ被害地に住みながら、弾圧側になって笑って喜んでいる。日本独特な公害地域の有様だ。対立というより、被害者を叩いて虐めて楽しんでいる。

笑いものにしたり、怒って見せたりと、勝ち誇っているやないか。そりゃぁ、「ワシらは役場や」というはずだよ。中には被害者もいるに違いない。勝つ方に付かないとな。社会の付き合いがある。人間の繋がりか。単に権力による支配を見るだけなのに、抵抗する気配はどこにもない。風力被害にひれ伏して、へらへら笑うだけのことでしかないのかい。海外の風力反対と、ここが違う。

まず役場、風力業者、スパイ工作員としての環境運動家、考える会、様々な仕掛けが襲い掛かる。何重にも取り囲まれるから、抵抗の仕様がなかったのかな。それと被害者の裏切りも大きい。手のひら返しで風力と妥協してしまう。「私たちは風力発電には反対ではありません」という。被害者がこんなこと言うか。私がh24年に活動し始めた頃、【後ろから矢が飛んでくるから気を付けな】とアドバイスしてくれた人がいた。

被害地域の人が、被害者が、私を訳の分からん奴、と言いふらしていたのだ。「誰がアンタを信用するか」と叫ばれたもんさ。13年経った被害地を見れば、「風力の被害など聞いたこともない」と誰もが口をそろえて言う。あれだけたくさんの被害者が苦しみ、狂い死んだのにさ、あの〇〇の会は何だったんだろう。秘密結社、被害者を閉じ込めて消し去ってしまう。まるでアウシュビッツの強制収容所だった。

ホロコーストなんだよ。ドイツでは「私たちは知らなかったんです」と言っているけど、そんなの嘘っ八なのは世界常識だ。それと同じで、目の前の山々に林立する風車から発する低周波音に、被害はない、なんて誰が思うかいな。ここまで人々が服従する理由は何だろう。集団催眠術やで。誰も反感も何も感じない所が恐ろしい。魂を奪われるらしい。低周波の狂気、タクトを振る悪党がいる。

達成感、優越感に高揚しているだろう。私は完全無視になっている。存在さえ消されている。見事な地域対策だ。原発でもさ、現地要員がいて、完全支配しているからね。嫌なら出て行ったらよいとな。福島の暗闇を見ただろう。福井でも同じことさ。今朝の産経には、奈良のメガソーラーが中止になったとある。奈良に風力はないんかい。三笠山とか、吉野の山とか、絶好の山々に囲まれているのに、風車が見当たらない。

もし風車を建てたら盆地だからエライことになるわな。和歌山人との差を見る。人間レベルの差よ。文化の差か。差別発祥の地とされながら、なんか違うなぁ。差別が公害を生んだ、と云うなら奈良は別モノだ。地域性だね。妹が奈良の女子大に行っていたので、たまに荷物運びをした。奈良駅近くの「志津」という釜飯屋がとても美味しかった。まだやっているんだろうか。柳生の里へは刀鍛冶を見に行った。

今はもうすっかり寂れているけど、昔はハイカーで賑わっていた。インバウンドで外人が大勢来ているらしい。なんか違うな、と感じる人の声を聞いている。農協はとうに廃れているし、農業や林業では生活できないようだ。せっかくの農地整理した田んぼが、コスモスの花畑になっている。何のまじないだろう。耕作者がいないのだろうね。それでも風車は建たない。こんな所に風力があったら大変なことになる。

そんな当たり前な判断があるようだ。和歌山との差は、これだ。あからさまな弾圧と誹謗中傷の人物破壊、人の不幸が面白い。ボロボロやないか。「土砂崩れが心配です」というセリフは止めないか。どういう意味かは君も分かって言っているんだろ。オマエの悪意しか伝わらない。敵対する。それだけの関係になっているんだよ。それが和歌山の風力被害だ。苦しみながら死んだ被害者が面白いか。恥を知れ。