人間観の破壊。

由良町の山々に林立する風車群を写真や動画にして訴えてきた。誰も反応しないし、とくに風車の麓に暮らす人たちには反感しかなかった。h24年の初頭に一瞬だけ、彼らと話し合いが出来たと思っている。最初はこんなになるとは思わなかった。すぐに解決して、普通に暮らせる日常が来るだろうと楽観視していたんだ。彼らがこんなにも従順に役場や議員にひれ伏すとはな。私に対する敵意や嫌悪の凄さに辟易する。

勝手に死んだらよい。洗脳とか、心理トリックは誰でも見破れる。それでも動物化されれば、泣きながらでも死んでいく。それを町民は笑って喜んでいるし、地域の人たちも「風力に反対ではない」と言っているのだ。決められたセリフに、社会の一員として認められたい承認欲求があるらしい。私が、いくらそれは違う、と言っても誰も聞く耳持たなかった。「出て行けっ」とどれだけ怒鳴られたことか。

風車教は強烈やな、とその精神被害を見るのだった。指導的役割を果たした役場や議員の誇らしさよ。ゾッとする。寒気を覚えるのは私一人なのだ。風車に囲まれて、低周波地獄で嬉しそうに生活する。被害者が大勢いるだろうに、【納得してもらう】政策のなんと着実なことよ。まるで動物園、まるでモノのようにして人間を扱う囚人生活だ。みんな喜ぶなよ。アホらしくてモノも言えない。

私は一人、そんな人たちを遠くから見やる。もう話しかけることはない。隔絶した人間観に、さめた現実の被害風景を見るのだ。日本では誰も理解できないらしいのだ。人々は今も土砂崩れが心配です、と言っている。海外の風力反対のニュースは伝わらない。意味も分からない。凋落もここまで来れば、日本人の本質を明らかにするのだった。