自分頭で考える。

風力発電の被害を見て、最初から言われている批判の数々は、まさにその通りなんだけど、肝心の日本人には全然通用しなくなっている。受け売りの言葉だけ。インプットされたセリフだけで話すのだ。無思考、だから「考える会」なのかい。全国でやっている地域対策として、「考える会」がいかに悪いか分かっても良いんだけどな。由良町の「考える会」を見ろよ。典型だろ。全国どこでも同じ有様だ。

私の名も伝えられていて、それらに電話してやると「あ、アンタか」と、さも知り合いのように拒否されている。一旦洗脳された人は元には戻らない。日本人独特な社会性を帯びて「私たちは~」と宣言するのだ。「私たちは風力発電には反対ではありません」は有名なセリフだ。風力反対と言いながら、真逆の合言葉になっている。個人、個人は、とうに考えることが出来なくなっている。

無批判、無能と化す。家畜にされるのだ。需要と供給かな。もともとがそんなレベルの人でしかなかったのだ。苦しみながら死んでもそれは変わらない。太平洋戦争と同じ有様だ。末期症状、限界状態なんだろう。当初、アホよら、アホよら、と手を叩いて踊っていた議員たちが懐かしい。町民も大喜びやった。私一人がそんな落ちた人々を眺めていた。もう話しかけることもない。

日本人には分からないのだ。なぜ? という疑問も馬鹿らしい。そんなモノなのだ。理屈じゃない、日本人が自ら求める自己改革、自己崩壊なのだ。役場に言われるままに抵抗感はない。総理大臣が堂々とテレビで再エネ推進を歌う。環境大臣が被害を否定する。これで決まりだ。私の一人相撲が分かる。誰も味方になるものはない。恐ろしい世の中になりましたな。ウカウカしてたら殺されるんやで。

もう誰も関心はないけど。カネが有り余っているのや。生贄が必要なんやで。吐け口の機能よ。