由良町で風力と言うと、決まってアホにされて笑われる。意外に、東伊豆町に電話した時にその事に気が付いた。誰に聞いても「ニヤッ」とする。猫じゃあるまいに、微妙な距離を取ってあざ笑うのだった。由良町の笑いは過激だからね。スゴイな、これはと感心するんだよ。谷口愛子さんですら【アホよら】と言っていた。それほど精神が高揚するらしい。ハイになる。低周波音と扇動の心理操作だ。
風力の低周波音によって人の心は操られる。実際にヒトラーの演説で使われていたと書いてある。精神支配の隠された一面だ。内耳の器官が低周波で損傷すると元には戻らない。どこか他所へ行っても、低周波音に遭うと耳鳴りや頭痛に襲われる体になっている。それと同じ現象が、低周波音による服従の心理だ。「ワシらは役場が正しいと信じる」誰もがそう繰り返している。
社会道徳として定着してしまっている。呪いの呪文かい、と驚いたもんだよ。しかし心理学の世界では、精神破壊や心理コントロールは簡単にできてしまう。大衆操作、集団心理のワナに、すっぽりとハマっている。水俣や福島の社会状況を見たら分かるじゃないか。電話して聞いて見なよ。あるいは各地の原発地域でもいい、原子力発電所の近くで暮らしたいかい。福井の原発銀座の人たちと話してみたかい。
納得してもらう。そんなことあるはずもない。原発がなかったらこの町は発展しない。なんてね。最近じゃ、ヌクレア(nuclear)というからね。外部の人には何のことか分からない。密閉された管理社会になっている。もはや原発反対も、風力反対も、地域管理の一環だ。一度出来上がった思考回路は変わらない。h24年、由良町に来た環境運動家たちは「すっかり出来上がっているな」と私に話してくれた。
ジャーナリストたちも、そこには共通した町の雰囲気があると指摘する。気持ちの悪い低周波音の響きに、人々の発する妖気が見えた。心も、体も、生理的な反応を見せたのだ。社会支配の恐ろしさを見る。「何でもできるんやで」と議員は言う。悲惨な低周波被害の現実を見ながら、誰も反抗する者はない。私一人、よくやったと思っている。最初、東伊豆町の裏切りを聞いた時、まさかな、いや、由良町も同じ事やっている、と気が付いていた。
仕組まれた罠なのだ。彼らは初めから分かってやっている。だから環境省の調査報告書なのだ。被害はない。プラシーボ、被害情報を聞いたからそう思っただけ、言うてるだけの迷惑、国家権力が被害を否定する。被害者の死は哀れよな。それを笑いものにして喜んでいるんだから、役場も政治も真っ黒けよ。住民もな、結局はすべての人が裏切っていた。【後ろから刺されるから気を付けな】そう言われてきた。
その通りだったよ。由良町の惨劇を見ているから、その後の全国でやっている風力被害もよく分かっている。風力は頭をやられるから簡単だ。精神被害と弾圧に、立ち向かえる人はいない。いやいや、世界では真剣に怒って抗議デモを繰り広げている。警察や軍部と闘ってでも人生を守ろうとする。たくさんの逮捕者がいて記事になっている。射殺して殺人事件になっている。それでも反抗は止まらない。
アメリカの風力反対はその先端にある。これが環境運動の本来あるべき姿なのだ。日本のは狂気に満ちているで。我家にはそんな狂人が何人も来て、風力キャンペーンを扱いていた。ウソ八百のホラ話に、こいつは精神病やな、とウンザリしたもんだよ。カルトと言ったら分かりやすいか。フリーエネルギー、とか言っていたな。地球は自転しているんだって。新興宗教の教義らしいで。
タダの風力の手先なんだけどな。しかしそんなモノが、いつしか由良町に定着する。誰もが、アホよら、とせせら笑う。精神破壊やな。完璧な心理操作に、なんで私だけが「それは違う」と言い続けられるのか。やはり人種が違う、としか言いようはない。由良守應は安政の大獄で牢屋暮らしをした。由良村では笑いものよ。罪状が残されていて、そんなアホな、という作り話になっている。
差別話に仕組まれた悲喜劇だ。裏話としては、同時期に京都大阪で密偵として奔走したという。弟の渓五郎は長州藩士になっていた。奇妙な幕末物語になっている。それはさておき、私もいろんな悪口に固められている。守應と同じく、眉を顰める笑いものよ。前例があるから、意外に楽チンかな。答えは初めからあるしな。分からないのは隣近所とか、由良町の人々だ。私一人が浮き上がっている。
なんせ日本でも一人だけ風力反対をやっている。土砂崩れじゃないんやで。その真実を見られるだけで、エラク達観した気分よ。家畜化された人たちとは違う。その矜持が自慢よ。




