笛吹けど踊らず。

由良町の人とはもう話す言葉もなくなっている。せせら笑いにアホにしまくりよ。何がそんなに嬉しいんだろう、とそれが不思議なんだ。人間破壊がある。低周波被害だけではなく、言葉によるトリックがある。太平洋戦争のときみたいなプロパガンダと地域工作だ。由良港には海軍があったので、ピカピカの洗脳があった。「スパイに注意」とか、パンフを配布して思想統一していた。

しかし開山興国寺の梵鐘は供出されずに済んだ。なんか理由がありそうだ。我家の寄進なので、余計に気にかかる。風力被害では、私に対する非難轟々の嵐に参っているけれど、その元をたどれば、我が家の家柄、先祖にあると見抜いている。その割に、あの戦時中の狂気に、我が家の記憶がしっかりと残された。笑える。だからか、少しだけ、心のどこかに人々の良心を期待する思いがある。

実際にはボロクソに叫ばれているけどな。「すっかり出来上がってるなぁ」と環境運動家たちは言う。どこでも同じ被害らしい。精神被害だ。不眠、頭痛。イライラ感、などと風力被害の症状が吹聴されたりする。そんな軽い被害じゃない。精神破壊、ガン、心筋梗塞などの死に至る。苦しみながら死ぬ。それも弾圧に遭って虐めまくるのだ。アホよら、と日常的にやられたら、田舎者でなくとも参ってしまう。

なんで日本人はこんなにアホなんやろ、と思わないか。海外では地域の人が協力して「Stop wind turbines !」と抗議デモしている。日本ではその代わりに、地域対策のイカサマ、御用学者のアホ話だ。【お花畑】と言いながら、誰もが大喜びして刷り込まれたセリフを繰り返す。「土砂崩れが心配です」よく言うわ。r8年、今のところ、誰一人として「風車を止めろ」撤去しろと言う奴はいない。

それほど抵抗がないのだ。やられっぱなしにヘラヘラと笑うだけよ。批判精神がない。私への憎しみとか、恨みを吐き捨てる。それだけの動物たちの風景を見てきた。先日の広川風力の撤去を伝えたけど、誰も反応しない。もはや「考える」こと自体がないのだ。人間じゃないだろう。たとえ被害感はなくとも、これだけの被害者の有様を見たら、風車風景を見ていたら、何か感情の言葉があるもんだけどな。

これが被害地の姿かい。水俣市でもそうだからね。一旦、被害地になったらもう元には戻らない。社会がな、健全な人を消し去るのだ。断絶を見る。交流がない。第一、言葉がないしな。恐ろしい顛末だよ。