私は運命だと思っている。子供の頃、由良守應は刑務所に行っていると言われたからね、近所の子供たちは親に言われたとおりの言葉を繰り返した。意味も分からずにな。祖母はその話を聞いて、「女の人のお尻を触ったから」と笑っていたよ。国防婦人会の会長さんで、菊水紋のお嬢だからね、フッ、と余裕を見せたのだ。詳しい話は伝わっていない。よくも殺されずに追放されて、明治維新で活躍する。
我家は母屋だから、何か残されていてもいいんだけど、見事に何もない。その時の当事者の判断だ。気位だけは高くて、私も自分ながら難儀している。武家とはこんなもんだろう。Xでは、徳川慶喜のことで一時沸いたけど、各藩にいた武家の子孫たちの返信メールが面白かった。きっと今も武士という気位に困っていながら、手放せない何か意識のような箍がある。その投稿記事内で笑いあった。
拙者は高知でござる。吾輩は佐賀です。武家言葉にこだわるか。カネもコネもない、貧乏武士だけど、皆さん結構アイデンティティになっていたのだ。人口の1%が武士でしょ。希少な意識の名残よな。彼らと話しながら、私もやっと由良町での生きづらさの原因が分かってきた。我家は旧家だから、何もかも一緒というわけじゃないけど。武士とか藩士とか、昔話の思い出だ。武士道なんて言ったら笑えてしまう。
そんな大層なもんじゃないけど、やはり当時は憧れたんだろう。刀は三つに折って鉈にしていた。短刀は安物の数打ちものだった。切っ先は危ないから欠いてある。よくも今まで家族が続いたんだよ。風力発電の被害はキッカケに過ぎない。自分の事も、周囲の事も、段々と明らかになる。被害者になると皆同じこと言っていた。なんやろ? と真剣に自省する。「アホやった」と何度も聞く。
役場でそれをやった人もいて、泣きつかれて困ったかな。それほど後悔しながら死んだ奴もいたんだ。私に対する敵意がな、どうしても拭えなかったようだ。私の住む門前地区でもそれは同じだけどな。武士とはそれほど同じ身分ではない。明治から150年経っても日本人の意識は変わらなかったのだ。私もな、南朝方で戦って滅んだ記憶がまだ続いている。藤原時代に、京都から都落ちしてきたとさ。






