新聞やテレビには出ない風力発電の被害を訴えてきた。添付の記事を見たら、由良町で経験したような同じパターンがある。「考える会」政治・議員、行政の悪意だ。なんせ由良町でも私一人が被害の苦しさを訴えているでしょう。秋田なんか、あんなに人口があっても、山にも平地にも海にも風車が林立して、誰も何も言えないのだ。御用学者を担いでアホ話に喜んでいる。心理トリックなのに、奴隷か、家畜か、何のことか分からない。
誰も関心はありませんよ、と伝えられる。恐ろしい閉鎖社会になっている。由良町での悲惨な事件と同じだから、彼らと話しながら、すべては徒労かい、もうダメなのか、と眺めている。じつはこの言葉は13年前に、由良町に訪れた環境運動家たちが私に漏らしたセリフなのだ。ジャーナリストたちも同じように、人々が奇怪な雰囲気を纏っていることを伝えていた。由良町を見て分かるように、私一人だよ。
他の人は「被害はないっ」と叫んでいる。他所から来た〈例えば環境運動家〉が同じ質問をしても、奇妙な否定のセリフがスラスラと出てくだろう。他の風力地でも全く同じなんやで。だからさ、添付の記事が私に返信メールが来ても、そうだろうな、としか思えない。テレビも新聞も風力コマーシャルだという。和歌山でもそうだったよ。国が、税金でやっているキャンペーンだもの。
太平洋戦争の時の【大本営発表】もあって、さらなる再エネ推進と歌う。被害者はコテンパンさ。議員や役場の怖さを見ただろう。権力を見せて脅す。被害者は泣いて死んでいった。可哀そうだった。私も弾圧の嵐にあったからね、笑いものさ。アメリカやヨーロッパでは、とうに風力反対が常識になっている。日本だけ、なぜな。SNS、Xでも私一人でしょ。私に対する悪口メールの多さに胸が痛む。
由良町では誰もインターネットしないけど、監視のスパイが見ている。住民にネジを巻いている。「被害はない」とな。これが不思議なんだよ。日本人は反抗しないんだね。低周波被害に苦しんで死んでいるのに、関係ない、とせせら笑う。人間かい。すっかり出来上がっているなぁ。大したもんだよ。騙す方も、被害地の方々もな。何でも言うこと聞く。意志も議論もない。思考すら奪われている。
今朝の産経には、メガソーラー論はあっても、風力被害はどこにもない。さらなる再エネの推進、かぁ。辛いのう。







