『民衆の敵』を読んで

イプセンの『民衆の敵』は映画にもドラマにもならない、特殊な人間心理を展開する。日本ではジョニーデップの映画『MINAMATA』が有名か。日本では拒否されるから。分からないんだね。とくに水俣人がよくない。フンッ、という軽蔑が聞こえそうだ。それ以外は、この地域の人と話していて何もヘンな感じはないと思っている。公害。正義感。潔癖症。生きていたら誰でも向き合う現象だ。

水銀やカドミュウムが汚染したら危険やわな。誰でもそんな常識はあるのに、被害者を見てもその感覚は分からなくなる。その答えが、いやいや、答えのない結末が『民衆の敵』に書かれていて世界のベストセラーになっている。日本人にも理解できる人がいるんでしょ。何が危険で、なにが悪いのかも、皆さん知りながら心の移り変わりを眺めている。風力発電の被害を見て、たくさんの被害者が苦しんでいる様子を見た。

【お花畑】、結局彼らは笑いものにして楽しんだだけ。環境運動会、環境ゴロ。地域対策の一環として機能していたことを振り返る。まるで珍獣や、見世物かい。日本だけ「Stop wind turbines !」の言葉はなかった。世界中で風力発電反対をやっているのに、日本だけが情報管理して心理工作する。そのカラクリを見破る人はいくらでもいるのに、誰も何も言わない。

確かな手掛かり、足掛かり、がどこにもなくなっている。被害者は一体、誰に助けを求めればよいのか。役場かい。警察かい。政治家、議員かいな。まさか環境運動家じゃないわな。残念ながら、日本には、風力発電の被害者は生贄として惨殺されてきた。笑いものにされて大層喜ばれる。話題になって、各地の「考える会」で消費される。アホよら。タイミングよく弾圧するから、そこには仕組まれた罠があることが分かる。

h18年の東伊豆町の風力事件を見ても、それ以来、どの被害地でも、宙にブラリン、の状態に置かれて終わる。【被害はありません】といわれる。昨日のインターネット記事に風力中止の文字があった。よく見ると、「土砂災害の恐れ」とある。再エネは必要だとも書いてある。岡山県だけど、北側の山陰地域にはたくさんの風力被害があって有名だ。まさか被害の実態を知らない、なんてことはない。

つまりな、心理工作になっている。「風力発電の町」がある。被害が分からいでか。その上で「土砂災害」と書くのだ。私のような重度な低周波被害者から見るとなんとヒドイ連中か、と吐き気がするんだよ。由良町のように、たくさんの被害者がいて苦しんで死んでいるんでしょ。目まいや耳鳴り、気絶したりして救急車で運ばれるんでしょ。心筋梗塞や脳溢血で死んだでしょう。隠すなよ。

youtube動画にも、少しは風力被害の状況がアップされている。まだまだやけどな。それよりも、各地でやっているペテンのエセ反対が賑わっている、ように見える。ビジネスだからね。彼らは狡猾さ。騙される方が悪いか。私もたくさんのショート動画を載せている。そこに住んでいる人たちがな、もう普通じゃないんだよ。話しかけてみな、驚くで。こんなになるんや。私はゴメンだね。

水俣でも福島でも、被害はありません、という。言ってはならないんだって。被害者への弾圧が面白い。結末がな、もう分かっているから社会の崩壊が恐ろしいんだよ。それが目的なんだろうけど。