毎日のようにして、このページで風力被害の苦しさを訴えている。s57年の学生時代、新聞で水俣の記事を見たけど、彼らもまた同じ気持ちで生死の地獄を見ながら訴えていた。実際にその場にいて、同じ生活をしていたら生々しいわな。長岡技大にはその地域から来た学生たちがいた。軽々しい気持ちの言葉はなかった。「言えないんや」という。そう言いながらその人は公害企業に就職していた。どうなっているのや。
風力発電の被害でも同じ風景だけどな。同じ町に住みながら、被害環境で暮らしていても、同床異夢というのかい、あまりにも情けない。倫理、人としての、やってはならない行動がある。被害者を公に否定することで、優越感に笑う。アホよら。そのエラぶりにさ、目まいがしたものさ。もう元に戻ることはない。私は勘違いしていたのだ。社会とは、少なくとも人々が助け合い、豊かに暮らすための集まりだろうと、違うか。
国連COPなど、確かに国際政治はある。しかしグローバリズムと言いながら、各国で大変な社会問題になっている。私のページでは、各国の風力反対デモを紹介してきた。調査研究資料もある。ところがどちらも日本のモノとは、真逆、と言ってよいほどの違いを見せる。日本での再エネ政策は、それほど異様なビジネス?、利権、支配になっていた。各地の被害の酷さよ。
ヨーロッパやアメリカのように、被害者を助けるために誰も味方になるものはない。その逆に弾圧して喜んでいる。生贄祭りよ。役場や議員は、ここに書いてきたとおりだ。住民の酷さがな、これが日本原理主義かと笑えてくる。被害者たちはたくさんいるのに、なぜ誰も反抗しないのか。アホにされて消されていく。SNS 、X では私一人さ。インターネット記事でもヘンテコな【お花畑】があふれている。
ペテンのエセ反対と私は非難する。ウソ付きなんだよ。「彼らは何者で、いったい何を目的としているのか、それを知ることが先決でしょう」、御用学者を担いでワイワイとやっている。地域対策の一環だ。こんなインチキに、日本人は誰も立ち向かえないのか。言っていること、やっていることを振り返ったら、風力発電の事業の一環でしょ。あるいは原発、メガソーラーと、セットになった心理操作になっている。
環境運動やっているんやね。既に被害者がいて大変な事態になっている。被害者は皆頭をやられる。これがミソやな。恐ろしい殺戮になっているのに、罪の意識は誰にもない。「ワシらは面白うてならんのや。ワッハッハッ」という。精神が高揚している。町が、地域社会が、操られているのが分かる。風車の麓に新築住宅が目立つ。これも水俣で見た風景だ。いつか来た道。動物園じゃあるまいに。
風力発電で勝ち組は誰だろう。政治かい、行政かい、環境運動かい、と見渡してみる。莫大な金が動いているけど、どこへ消えていくんだろう。キックバックがある。世界政治の暗闇か。もはや風力被害を唱えるだけでは止まりそうもない。国の機関が機能しない。ここまで侵略されているんやで。政治や行政をつぶすしかない。日本人よ、戦争やっているようなもんやで。黙っていたら殺される。
日本が、いかに食い物にされているのか、それぞれに話してみないか。SNSでもよい、サイトで再エネ被害を暴いてよい。紙の本にして訴えよ。汐見先生みたいに小さな冊子から始めたらよいではないか。由良町では誰も見向きもしなかったけどな。反発、私に対する嫌悪が沸き上がる。出て行けっ、と何度叫ばれたことか。いいじゃないか。狂気を見せ合う。それが風力発電の被害だ。




