田んぼに出たら、久しぶりに百姓たちと話すことになった。カチンコチンやな。ネジを巻く、という。まるで操り人形のように、決められたセリフを繰り返すのだった。谷口愛子さんの狂人伝説を聞く。何度聞いても吐き気がする。個人を貶めて喜ぶのだ。私も散々やられているからね、死んでもボロクソなことよ。それで「谷口愛子、風力発電」と検索して見た。なーんや、みんな見てるんや。
由良町の人は、谷口さんの悪口ばかりだけど、全国的には、何が❓ と気になるらしい。監視網、風力の監視かもしれんがな。どの風力地域でも、風車病、低周波被害はタブーになっている。「低周波」と言ったらエライことになる。言葉狩り、言論統制だ。社会主義、全体主義として、ヒトラーやスターリンを賛美するのと変わりない。粛清がある。恐怖の植え付けよ。適当に住民が殺されるんやで。
憎しみや侮蔑、残酷さが求められる。いや、需要と供給のバランスかいな。世界では、各地で戦争をやっている。日本もどこかで軍事に関係する。テレビニュースでは、虐殺の風景は見慣れたものになる。我々日本だって、そんな気配が浸透するわな。日本だけ平和、お花畑、なんてあるはずもない。だって、同盟国のアメリカUSAは主犯格でしょ。ヨーロッパだって、直接に軍事支援している。
戦闘員まで送り込んでいるんだとか。戦争の暴力、残虐さを求めるか。平和のための戦争かい。日本人には分からないようでも、次第に心理的な影響はある。浮足立つ。台湾有事は、日本有事だとか。戦争を煽るのだ。風力支配はその一環だ。ナニが自然エネルギーだよ。サステナブル、ってか。環境運動の皮を被った支配構造の確立よ。思考のアルゴリズム、心理操作が繰り返される。
何でも言うことの効く、思考回路になっていた。反抗とか抵抗は認めない。見事な人間管理が行われている。先日の「Xの投稿記事を削除しろ」という強制もな、気持ちの悪い策略を見た。私は何度も体験しているから、またやられたな、とその人のアホらしさを見ていた。風力の罠に罹ると、抜け出せないらしい。いやいや、自ら進んで仲間入りするからね、人の悪口ほど楽しいものはない。
とくに元・被害者ほど、私と話しているから、私の弱さや孤独を知っている。クソミソよ。それでな、「低周波被害者の会」が有り難かったわけだ。しかしながら結果論を見たら、すべての人が裏切っていた。汐見文隆・窪田泰の名前はとうに消えている。風力被害だけじゃなく、一般の重機とかエコキュートとか、低周波被害に泣いている人がいるんでしょ。一旦、低周波音に敏感になると、どんな低周波にも反応するようになる。
つまり、低周波被害は、被害者にとっては常識の問題だ。間違っても風力発電には近づけない。何が悪いのか明らかだ。それでも何も言わない。味方になって応援することもない。「迷惑です」というばかりよ。前記の窪田さんらもやられたけど、自称被害者からボロクソに拒否されていた。風力被害者はファイリングされて利用される。畑地区の谷口さんだってそうでしょ。その時からオカシかったんかい。
ヘンだったんやな。個人の問題として。アホよら。関係ない。風力発電と結びつくことはない。あれだけ谷口さんが風力発電の低周波と言っていたのに、である。思考の断絶。凝り固まり。憎悪と嫌悪。それが由良町の人の話ことばだ。面白い心理トリックでしょ。山々には21本の風車が林立して回っている。それを見ながら誰一人として風車被害を言葉にすることがない。言うたらアカン、のやで。
まるで家畜よな。百姓たちのアホらしさに、よく教育が深化していることよ、と感心する。役場を信じ込んでいた。たぶん面白いんだよ。被害のあることがな。戦争と同じ効果を求めている。排他的、敵対的、残酷な言葉、私に対してだよ。だからどの地域でも、誰も何も言わないんやね。風力支配の完成を見た。人々の思考回路は、ロボットになっている。日本の悲劇や。それだからこそ面白いという。自己崩壊だ。
https://yuramorio.com/2018/01/page/5





