「ついに」と書く辺りがピンときた。風車の羽が破損して落下する。死亡事故に衝撃が走る。それだけの事件だけど、風車が原因で人が死んだのは、ナニもこれが初めてじゃない。由良町では10人ほどの人が悲鳴を上げて死んでいる。笑われ者だよ。アホよら、と人々は喜んでいる。同じ環境で、人が苦しみ死んでいく。あるいはヘンな人になって嫌われる。そんな差別が昔からある。安易に言葉にするだけで憚られる。
それぞれの被害地で、特有の事情があるだろう。「秋田でも同じです」と伝えてくる。奇妙な心理コントロールがある。この記事もその一環だ。これまでは「土砂崩れが心配です」と書いていた。御用学者の弁では、耳の障害者が自分の症状を言っている、ご自分の責任でしょと論じていた。普通の人には影響ないですよ、とさ。その先に、降って沸いた死亡事故だった。それでも誰も何も言わない。恐怖政治がある。
人にやさしい自然エネルギーじゃなかったのかい。雷に当たるような、ごくまれにある事故か。それよりもな、和歌山の風力発電公園に見るように、気持ち悪くなるし、危険な地域だから誰も近づかない。原因は有害な低周波音だ。みんな知っているけど、タブーにされている。厳しい箝口令があるようだ。風力地域の人は誰でも知っているんでしょ。あの下津町大窪地区でもそうだからね。由良町なんかスゴイ精神支配になっている。
看守と囚人。刑務所かい。思想警察がある。「誰も風力の被害など言うものはない」、「風力の被害など聞いたこともない」、こわもての顔を作って宣言する。勝ち誇っている。内心はとても嬉しそうだ。被害地の人が言うと、狂てるなぁ、と分かる。だって、人が苦しみ死んでいるのを見ながら、冒涜でしょ。地域社会として、誰も助けなかった。アホよら、と笑うだけよ。私を鷲掴みにして助けを求めた人たちは何だったんだろう。
私は誠実に対応したつもりだ。私も被害者だからね。彼らの苦しみがよく分かったさ。その上で、被害者たちが裏切っていく。それはまた別の話だ、という。心理トリックに騙されるのか、頭をやられて人形になるのかい。これまで例外はなかった。進んで被害に苦しみながら死んだ奴を見ている。集団催眠術の、地域対策の録音もある。地獄の有様よ。それなのに誰一人として、この風力被害を言葉にできないのだ。
海外の風力反対との違いを見よ。それがこの言葉のすり替えだ。いろんな話にしてしまう。水俣病で見たじゃないか。ウイルス説とか、米軍の爆弾だとか、ヘンテコな学説が、いかにも大変そうに繰り返される。学者たちの悪いことよ。政治や行政は、何だったんだろう。秋田にも役場や議員があるんでしょ。由良町と同じで皆、せせら笑いかい。平和じゃないか。勘違いじゃない。
そこに住む人たちも、議員も、役場も、風力被害に関心がない。被害者になって苦しんでも、言ってはならない秘密になる。どんなトリックがあるんだろ。弾圧で、ここまで堅固な被害の否定になるもんだろうか。海外じゃ、堂々と「Stop wind turbines !」と抗議している。日本人だけが、「ドイツに学べ」と言っている。外人さんには理解のできない心理トリックよ。この日本人特有の価値観が面白い。
精神構造を操られている。「言うたらアカン」沈黙は金。思考停止ではなく、ピカピカの心理操作だ。罠にハマっていることを見たか。行き場のない風力被害が面白いか。まるで動物園じゃないか。人間はおらんのかい。
https://yuramorio.com/2019/02/page/19




