これは魔法か、テレビか映画のようやないか、由良町で風力発電の被害が否定されて追放された時、地域の人々からも総スカン状態であることに気づいていた。感動やな。今もh24年の事は忘れない。次々と被害者が苦しみながら死んでいく。私だけじゃなく、役場など、あちこちに助けを求めていた。「助けてくれ、何でもする」鷲掴みにされて泣きつかれた。私も重症の低周波被害者だからね、人間破壊されるその苦しさがよく分かったよ。
人々の笑い声もな。何が起こったんだろう。政治か。人々の悪意か。役場の悪さよ、何やこの言い草わ。予定された、仕組まれた罠にハマり込む。社会心理学の恐怖体験を目の当たりにした。人は、こんなに簡単に変わってしまう。人物破壊、というけれど、情報操作、思考コントロールに、染め上げられる。「アホよら」「関係ない」とまるでオウム返しに吐き捨てられるのだった。じゃぁ被害はなくなったのか。
そうじゃないだろう。いったい、皆さんはどうしてしまったんだい。私に対する敵意に、真っ赤な顔して怒っている。【被害はないっ】そうかい、よかったじゃないか。怒りと嘲笑いの、不思議な人間模様になっていた。味方は誰もいない。これまで仲良くしていた人の離反、というのか、絶縁を知る。こんな小さな田舎町で、生きていくための選択だったんか。ヘンになった人を見た。精神被害だ。
バタバタとやられる有様を見て、非常事態に気が付く人もいただろうに。地域対策の「考える会」なら、もちろん分かってやっている。殺人事件だ。現実の被害を前にして、何事もないように振舞ってくださいと諭す。地獄の風景なのに、誰も声を上げることが出来ない。「服従の心理」、「看守と囚人」、心理学教室で見たとおりの展開だ。人口5000人の由良町に、社会正義はなかったのかい。これが許せない。
私をバカにして笑うだけなら、個人的な感情だろうけど、多くの被害者が苦しみながら死んでいる。それを外部の環境運動家たちが物笑いの種にする。県庁とか、環境省とか、専門とする機関も承知の上だ。そんなとこに電話するとヒドイ言葉で罵られる。待ってましたとばかりに、専用の窓口になっていた。国家犯罪の事実を見たよ。何のための風力発電か、いくつもの理由が思い浮かぶ。
毎年のように公開されている環境省の調査報告書、被害地の対応策、納得してもらう政策だという。深刻な被害が分かった上での弾圧だ。水俣病でもそうでしたな。風車病なんか、全国展開でしょ。誰かが、「Stop wind turbines !」と言っても良かったんだよ。私一人がそんなセリフを訴えていた。被害の現地でさえ、そうなのだ。周辺の広川町とか下津町とか、悲惨な弾圧政策を見る。ボロクソに貶められる。
こんなにしてまで人を叩きのめすか。そして笑いものにするか。なんで誰も何も言わないんや。それがな、今も残念で悔しくてな、海外の風力反対を見せながら、異常な日本の精神論を非難しているつもりだ。「由良さんは自作自演やで」とみんなが言っている、と聞かされる。「風評被害」にみんなが迷惑している、という。「風力の被害など聞いたこともない」という。判で押したようなスローガンが行き渡っている。
由良町の人はとても嬉しそうにその言葉を吹聴する。体制派だと思うらしい。みんなと一緒。全体主義とはこんな感じか。風力ファシズムだという。犠牲者はどうなるんだい。ウソなんだよ、ほっとけ。アホよら。土砂崩れが心配だという人がいるで。どこかでそんな災害を見たか。いや。だったらいいじゃないか。地球温暖化の時代だ。みんなで協力しないとな。国際政治の一端に繋がっているらしい。
今、私のX(twitter)にリポストとして、海外の温暖化説否定の記事をいくつか載せている。私もこれらの疑似科学説が正しいと思っている。日本にも、地球温暖化説を否定する人はいる。サステナブル、再エネの、顛末が明らかになる。アホみたいやで。初めから分かっていたことやけどな。風もないのに風車が回っている。ペテンだ。そんな演出、デモンストレーションの風車に殺される。
哀れなよう。そう思わないか。お笑いだけか。すっかり精神が破壊されたと思わないか。由良町では今、風車の下に新築ラッシュだ。気持ちの悪さよ。黒い煙が立ち込める。ナニ、結果は想定されている。人の思うことは皆同じことだ。どうもないのかい。
https://yuramorio.com/2019/02/page/19



