低周波被害者になると大変な弾圧に遭う。h23年に飛び込んできた奇怪なニュースは、今に至っても被害者たちの殺人事件を否定して笑っている。いや、被害者は泣き叫んでいたよ。それを取り巻く家族や隣人たちがな、鬼となって襲いかかったのだ。普通は被害の原因が山々に設置された風車だと分かっているんだから、止めたらいいんだよ。h20年の最初の風車で被害の酷さは分かっていた。
それを誰も助けないばかりか、被害者を否定して虐待する。暴力を振るう。「考える会」というトリックを見た。秘密結社だ。私の所に、わずかに情報が漏れてくる。直接ではなく、幾人かの人の手を経て、奇跡的ともいえる弾圧の痕跡だった。知っていたよ、畑地区の人とは米作りで一緒に働いたからね、何か私に話したいような、のどに詰まった顔して私を見ていた。
中にはアカラサマニ、社会との繋がりがあるから被害のことは言えない、と宣言した奴がいた。さっさと64才で死んでいく。アホやなぁ、こんなのが多かった。過激な言葉で叫ばれていたからね、私もビクビクしたものさ。昔からの言い伝えがあって、差別的な理由が明らかになる。社会勉強にはなったけど、人の命がかかっている。彼らの最初の言葉が、私の排除だった。
「由良さんは門前地区で一人でやればよい。私たちは畑地区の人と一緒に頑張っていく」、私の住む門前地区では、私は村八分よ、非難轟々の嵐でな、このクソ野郎、と私には言葉がなかった。集団ヒステリーになっていた。我家は旧家だけど、新しい他所の人も住んでいる。それでも全員の拒否に遭う。完璧やな。近所の古刹、開山興国寺では「寺の敷地に立ち入るな」と怒られたよ。
アレアレ、これまでの歴史を思えば、よくもそんなこと言えるな。その寺周辺には不思議と被害者がいなかった。その人らの私に対する敵意を見る。彼らはとても嬉しそうなのだ。世論操作、人物破壊がある。古い親類もあるけど、全くダメだったね。畑地区で見るように、家庭内でも被害の否定で、大層なケンカになっている。個人の孤立化、被害者の妄想化、全体主義みたいな考えが定着していた。
谷口愛子さん宅でも家族は被害を否定する。これも有名な話だ。その人の悪口をあちこちで聞く。私もやられているから、これまでの知人・友人とは何だったのかと笑うしかなかった。支配がな、こんなに人を管理してしまう。低周波音と弾圧。恐ろしい社会の破壊だと今更ながらに思うのだ。由良町で一人、日本でも私だけが低周波音の被害を訴えている。「土砂崩れが心配です」とはよく言ったよ。恥を知れ。






