たまに近くのAコープで買い物する。貧しい田舎町だから年寄りばかりで品数は少ない。御馳走がないのだ。質素な生活にはそれでいいんだけど、時には目を見張る贅沢も挑戦したい。昔は忘年会だと言って騒いだ時代があった。その名残だろうか。昔の飲み屋街はすっかり寂れている。町に活気がない。貧乏な人ばかりだ。私もそうだけど。まるで特養、老人ホームやな、とレジに並んで見渡していた。
もはや回復はない。赤字経営だろう。税金やな、と見ていて分かる。ここからも21基の風力発電が見える。風車からの距離は3㎞、しかし不思議に被害者の声は聞かない。隣に国道42号の道路橋(鋼桁)があり、三井造船の工場音が響いている。音環境の混濁が、風力被害の純音をかき消している。でも、なんかオカシイのだ。この静寂、何もない、何も言えない抑圧は何だろう。
少し前までは「風力に被害はない」などと言っていた人たちも、年取ったからなのか、まったく何も言わなくなっている。もうそんな元気もなく死にゆくばかりだ。測定器で測ってみたら分かるけど、不気味な風力の低周波音が覆っている。倍音があるからさ、アッ、風力や、と分かるのだ。パターン認識だ。低周波被害者なら、それぞれの音源に敏感に反応する。被害感のない人は、本当に何も感じることが出来ないんだろうか。
どうやら違う。役場の政策、社会操作にもよるが、確実に精神的な被害がある。私の住む門前地区にも、まったく被害者のいない地域があって「なぜなんやろ」と思っている。興国寺の坊主に聞いても、ここには被害者はいないんだ、と笑っていた。事実、今も別の坊主は「自然エネルギーだからいいじゃん」と言っている。禅寺なのに、それが分からないらしいのだ。
我家からは200mほどしか離れていない集落の事だから手に取るように分かる。風車の麓の畑地区とはまた違った「被害はない」というのだ。私をアホにして喜ぶことよ。洗脳社会になり切っている。これほど精神汚染されるんやね。よく見ると、そこには沈んだ自我意識と云うんだろうか、オーソライズされた風車の町、意識があふれていた。道理で私とは反りが合わない。社会的に飼い慣らされていたのだ。昔からの親類もあるけど、仕方のない運命だね。昔話よ、さようならだ。風車被害は、何もかも破壊する。
https://www.youtube.com/watch?v=dmOlw1E7GYM 由良町畑地区、幼稚園の周囲






