世界と、日本の風力被害を見比べると、格段の差、違いが明らかになる。日本人は騙され、脅されて、被害者をアホにして喜んでいるわけじゃない。由良町なら、小さな谷あいの町に、人口5千人が暮らしている。皆知り合いだ。親類関係も複雑でな、差別が厳しいことも、近隣の町と違いはない。三井造船由良工場が風車建設のスタートだったことは誰でも知っている。
h18年に、東伊豆町の風力事件が全国に発信されているから、そして広川町、下津町の、ごく近くの風力被害を見ながら、由良町では風車の建設が始まっている。役場は、被害を分かってやっていたのだ。今現在、r7年になっても、風車建設は全国で続いているからね、懲りない、というのか日本人独特な鈍感な、パラノイアを見るのだった。役場でもな、それはすごい弾圧の嵐でしたよ。
幹部職員や議員となると、普通の人ではないからね、こんな悪党に一般の住民が脅し付けられたら、ひとたまりもない。吹っ飛んでしまう。私だって、もともとは気の小さな小心者よ。もし議員の肩書がなかったら、なんの反発もできなかったことだろう。1対9。一人だけで対決した。〇地区の被害者たちから依頼を受けていたしな、正を得て斃る、それでよいと考えた。今もそれが続いている。
私も結構、そういう意味では偏執かいな。いや、世界的な常識があるし、汐見文隆、窪田泰に出会っていた。なによりも私が重症な被害に苦しんでいる。私に逃げ場はなかったのだ。あれから13年が経つ。人々の裏切り、変わりように、人とはこんなものか、と冷めた気分を味わっている。日本では、ついに風力被害を訴える人はいなかった。少しばかり、そんな気持ちを伝えたいような人もいたけれど、地域のエセ反対「考える会」に取り囲まれていた。
心身共にな、何がそれほど信頼できるのか、私には理解が出来ないけどな。頭をやられる、洗脳、心理コントロール、そんなとこかな。騙されて、黙らせられていることも分からずに消えていく。いくら水俣病を例にして、殺されるんやで、と言っても通じない。由良町〇地区では、哀れなほど被害者は泣きながら死んでいった。私は、どうしても『風力発電の被害』を書かなければならなかった。
今読めば稚拙で、浅い思考が見え見えになる。早く次の『風力被害』を書かなければな、と思いながら、何度書き直しても前には進めない。なぜな、と人々の笑いを見ながら立ち止まる。こんな人らに何を言っても通じない。私の目的とは何か。何のために書くのか、と苦しみが続く。由良町の人にはまったくない概念だ。雲をつかむような話になる。何も聞こえんやないか。オマエだけやで。
風力は自然エネルギーや。私に対する敵意・嫌悪がな、素敵な追い風になる。私は違うからね、と独り言ちる。日本人には馴染のない、アイデンティティ、自分という存在に気が付く。家柄、歴史、やっと自分が何者であるか分かってきた。無理にこの価値観を押し付けてもアカンわ。トランプ大統領の風力発電禁止令は、日本には及ばない。検索したら分かるけど、たくさんの奇妙な論説がくっついていた。
トランプが、いかに卓越した政治家であることか。日本人にそれが分からないのは残念で仕方がない。なんせ由良町では、誰もインターネットをしないし、思考も意思も感じられない。まるでロボット、家畜になっている。私が村八分だから、だろうかね。誰も本心を明かさない? いや、誰も、何の考えもないことに気が付いている。移民さんの問題でもな。きっと破壊工作、侵略の一環だと思う。国際政治の闇だ。日本は落ちたね。



