お盆の行事が済んで、季節が進む。

迎え火と、送り火で、盆の行事が終わる。興国寺の坊さんがお経を挙げに来る。それだけのことだけど、季節感があって、たまに墓参りに出かけてみる。昔見かけた顔ぶれはもういない。私だって年取ったから、当然の変化だろう。知らない人を見て、首をすくめている。風力発電の被害がなければ、我が家の裏山の事ではあるし、もう少し堂々と社交的な顔できたかもしれない。私の住む門前地区が見渡せる。

誰もが風車のある山々を毎日目にしている。門前地区の人口は400人、被害感のある人は10人くらいはいるだろう。h23年に、近所の人から具合の悪い人がいることを聞いている。あれから13年経ち、いろんな形で風力被害を見たことだろう。人物破壊のトリックが面白い。私一人のために、皆さん大喜びだ。私のこれまでの失敗談、悪口が昇華して人々に染み付いている。

言い訳も何も、すべて本当の事だからね、300坪の百姓屋に一人寂しく暮らしている。本人は割とお気楽にしているつもりだ。低周波被害は苦しいけどな。それと人々の敵意が私の心を突き刺すか。アホよら、とな。この心理トリックは、とてもよく出来ていて、由良町の人なら誰でも大喜びで話してくれるで。タクトを振っている奴がいる。シナリオを書く人がいる。

差別の厳しい町だからさ、私のような旧家の没落を見るのはどれだけお愉しみなことだろう。私も一緒に笑ってやる。中には苦しみながら死んだ人もいた。何でもいい、どうせ何も分かってはいなかった。風力発電の低周波は強烈だからね、思想強制と相まって、最期は人ではなかった。人が死ぬんだもの、それぞれに大変なことだよ。私はこうして地域の風力被害を伝えているけど、たぶん、他にも真実を見通す人は幾らもあると思うのだ。

前記の、h23年に風力被害を伝えた人たちは今はいない。でも彼らは誰かに伝えたくて、私にも被害の内容を話したのだ。家族の人は当然知っているやろ。ところが、ソイツの息子に聞いたら「ナイナイ、そんな被害などあるはずがない」と満面に敵意をみなぎらせていた。そんなに怒らんでもいいやろうにな。ロボット化されている。大体がそんなふうに思想変換されている。処世術、生きていくための方便よ。

私がそれほど憎いか。アホめ。全国の風力被害を見渡すと、大体同じやり方で弾圧が行われる。役場、議員、環境ゴロ、国策、カラクリが見えてきたやないか。虐め殺された被害者たちがいる。ご愁傷さまだ。私は何もしてやることが出来なかった。それを笑いものにして喜ぶ人たちがいる。あの人は人間だと思っていない。それほどの衝撃があったと言っていた。私もやられたから、殺人やな、と私は思っている。

もはや誰に何を言っても通じない。太平洋戦争みたいなものだ。誰も「止めろ」と言わない。あとは天皇の言葉に待つほかない。日本人て、ホンマにアホやで。世界中の風力反対のデモや記事を見ても分からないのだ。由良町だけではなく、日本中の人を見て分かったよ。それでな、天皇という仕組みが、いかに大切な国の要なのか、と思い知る。明治維新のように、わずかな人が集まって、草莽崛起、新しい日本を目指すしかない。

ガラガラポン、やね。移民は国の宝物。さらなる再エネの推進。こんな政治は叩き潰そう。評論家はいらない。日本人よ、戦おうぜい。(最後尾の添付記事の意味が分かるかい)