畑地区の谷口愛子さんから風力発電の被害を伝えられてから、もう13年にもなる。当時は全国で、風力被害を訴える人がいて、互いに交流していた。由良町にも何人かの被害者さんが来て、あるいは東伊豆町に出かけたりして、連携して立ち向かうんだ、みたいな話を聞いていた。畑地区の人たちからは早々に私は拒否されていた。よっぽどお邪魔だったようだ。引き剥がし、孤立化、分断政策だ。
「考える会」の主催者らの正体を見ていた。ナニ、役場で彼らの役割を聞いていたから、協力金の分配とか、被害者の管理に私は関わり合うことはできなかった。鉄壁なカーテンが下ろされていた。私の住む門前地区でも同じだったけどな。人々は完全に役場を信じていた。今も、もちろんそうだ。私への嫌悪がスゴイ。私は、被害者たちが扱き下ろされているのを知っていた。アホにしまくりよ。
泣き叫んでいたけど、私にはどうしてやることもできないでいた。これが今も残念だ。みんな死んでしまったからね。嫌な奴もいたけど、神妙にして死んでいくのを見ていた。私だけが見たんじゃない。小さな谷あいの町だもの、みんな知っているんだよ。この辺の社会心理学がな、人の心の綾を見て、なんと当てにならないもんだな、と確信した。ドイツのホロコーストでも、いろんな場面があるけど、ユダヤ人を売り渡したのは、結局はユダヤ人リーダーたちだった。
アンネの日記の少女をゲシュタポに引き渡したのもその地に住むユダヤ人だったという。ハンナアーレントやEフランクル、Èフロムがとても参考になった。私にはアングロサクソン、ゲルマンとユダヤ人の違いが分からない。たぶん憎しみあう理由があるんだろう。由良町でもな、差別が厳しい。私がこれほど人々から毛嫌いされるのも、きっと何か理由があるんだろう。人物破壊の策略がある。
知ってはいたけど、人々の喜びようよ。差別って、こんなにも楽しいんだね。それで私も家柄自慢が始まった。昔、和歌山藩で出世した人がいて、あんまり家柄を自慢するので、皆に嫌われて排除されたという。たぶん和歌山市に由良宅があったんだろうけど、その家は消え去っている。我家は貧乏だからね、長男だろうが何だろうが、出来のいい奴は、さっさと出て行って出世をする。
あとが続いたためしがないから、その時だけのお祭りで終わったようだ。結局、出来の悪いものが我家に残って跡を継ぐ。その繰り返しに、アホな血筋だけが残ったようだ。私が最後の一人だ。よくやったと思っている。全国の風力発電被害を見ても、もはや誰も何も言う人はいない。環境ゴロ、ヘンテコな役場のイヌがのさばるか。私よりも優秀な人は幾らもいるだろうに、なぜやろ。
学校の先生もな、小学校、中学、高校と、昔なら環境に煩い人がいたと聞いている。今回の風力被害では、まったく何も言わないね。情けないのは私が卒業した和歌山工専や、長岡技大の有様だ。最新鋭の低周波測定器をホームページで自慢しながら、「測ったら駄目」というのだった。アホらしいことよ。笑うしかなかったで。小林芳正教授のチームが来て、有害な低周波音を詳細に測ってくれた時は、どれほど嬉しかったことか。
歴史に名を遺すとはこういうことなのだ。しかし誰もが知らん顔する。アホか、と罵る。すごいことになっている。由良町だけの有様じゃないでしょ。海外でやっているような風力発電反対、なんてどこにもない。繰り返すが、「土砂崩れ」じゃない。そんな事は海外の風力反対を見ればすぐに分かる。こんな初歩的な疑問すら日本人には通じない。どこまでも転落する。私はもう遠くから、対岸から見ているだけになっていた。みんなとても幸せそうだよ。それはよかった。中身は知らないけど。




