私は一人、無意味なパフォーマンスか。

由良町の風力発電被害はスゴイから、私も遠慮なく攻め立てているけれど、現実は只の変わり者として人々の嘲笑を浴びている。一人で耐えていられるのは家柄意識だ。風力の弾圧で、私が何者であるか、ますます自覚を深めている。由良守應のことや、先祖が南朝方で戦って滅びたこと、親父や祖父母の思い出に、生きる糧として、わが家の歴史を背負っている。他の被害者たちには、盾となるバリアーbarrierはなかったんだろうか。

学歴自慢とか、資産でもよい、商売上手でもよい、自治会の区長さんとか、政治談議でもよかったんだよ。マトモな反論を聞いたことがない。人としての信念はないのかい、と見ていた。風力発電の計画段階で、建設途中でも、被害が明らかになった時でも、誰も反発することがなかった。まるで家畜やなぁ、アカンわ、と見てきた。私一人がカリカリッと、役場や議員たち、政治家に反抗していた。

代議士たちは堂々と新聞を使って風力推進を歌っているからね、大したものだよ。反抗する人はいない。こんな政治家に、被害者らは助けを求めて何度も訪ねていたのだ。私もやったけどな。笑いものだよ。あれから10年経っても、各地の風力被害者たちは、議員さんに頼んでいる、と言っている。ご自分では何もしない。大人しく、ジッと何かを待っている。最期の時をな。海外なら、どの国でも烈しい風力反対デモやって抗議している。

日本にはそんな抗議は一つもない。環境運動は、地球温暖化、カーボンフリー、地産地消なのだ。賤しい被害を言う人じゃない。日本では、総理大臣が、さらなる再エネの推進を謳い上げる。環境省は被害を否定する。反抗する者は逮捕して懲らしめる。安政の大獄みたい。風力の被害地は、低周波被害と弾圧で、狂気の渦になっている。殺戮現場だよ。たぶん、そこでは精神のバランスを見る間もなく、動物と化すんだろうね。

全国の風力被害地では同じセリフが繰り返される。水俣や福島と同じやり方だ。太平洋戦争の時みたいやで。誰も止められない。誰も何も言えない状態に、上から言われた命令だけで進めていく。無責任な人々よ。私はよく、環境運動家やスパイ工作員の悪口を書いているけど、対向のない日本人社会も末期症状だと見ている。制度疲労じゃない。人間がな、もうこれ以上に、反発する気力がない。元気のない老いた人々で占められていた。

彼らはすべて私を敵視する。ワシらは役場を信じている、と云うんだよ。違うだろう。役場は、由良町は「風力の会社」と一体になって進めていく、と言っている。風力をやっているのは役場だ、三井造船だ、国の政策だ。由良町の人にはもうそんな分析ごっこもできない。何も考えることも反抗する気力もない。インバウンドで外人にやられるはずだよ。社会の意味は、とうに消えていた。社会主義国だね。

給付金、現金の配布が待ち遠しい。もうすぐ南海地震があるから、大きい災害になったら一溜りもない。和歌山なら最悪な社会崩壊が待ち受けるだろう。風力被害で見せられた人間否定がさらに現実になる。親切心なんて、優しいこと言ったら殺されるかもな。それほどに日本人の心は破壊されている。参院選挙で見たとおり、政治家は誰も風力発電には触れない。何か決まりごとがある。彼らは皆、何かを知っている。

もちろん我々一般人もな。風力はアカン。ほっとくしかない。自滅社会だと。手の付けようがないんだよ。私だけが、対岸かい。