風力発電の害悪を暴こう。

私は風力の低周波で苦しんでいる。同じ由良町で、たくさんの被害者が苦しみながら死んだ。それなのに誰も何も言うことがない。いや、これまで風力被害を伝えていた人が、手のひら返しで被害を否定する。そしてな、私に対してエライ剣幕で怒るんだ。「キサマを訴えてやる」何度憎しみを込めて叫ばれたことか。長々と手紙を書いてきた奴もいる。被害者のくせに、すっかり精神疾患やないか。

そんな奴は電話で話しても、絶対に通じることはない。いや、頭をやられているんや、と風力被害独特な心模様が伝わってくる。死ねよ。たぶん風力側の心理支配で私にツケを回している。それが由良町だとな、組織的な隠蔽工作が見え見えになる。その人の正体がな、丸見えなんだよ。溜まったストレスの吐け口にされてはたまらない。与えられた利権の事は言うまい。個人が特定される。人間破壊やな。さようなら。

畑地区ではそんな言葉もなく死んでいった。納得して「社会との繋がり」を言っていた。まやかしの心理トリックなのにさ。この弾圧のひどさは、今流行りの環境運動でも気が付く人はいるだろう。日本では、ほとんどすべて「お花畑」として地域対策のマントラになっている。ユートピアと、フィクションと、現実との境目があいまいに強調されている。地球温暖化、って何よ。風力発電は扇風機かい。

彼ら、環境運動会、御用学者のアホ話を聞いていたら、嘘八百の扇動、キャンペーンだと分かるだろう。いくら由良町が人口5000人の田舎者の町だとしても、誰かがこの被害に気が付いて反感を持ってもいいだろうに、と思うのだ。憎しみを抱いて頬かむりする。社会の有様がな、どんよりとした薄暗闇に覆われる。風車群の麓へ行ったらエライ音やで。よくもそんな家に我慢して暮らすな。

もともとが音のない静かな環境だからこそ、風車騒音が卓越する。それより聞こえない低周波音の恐怖がある。知らぬうちにドンドン症状が悪化する。耳がキーンッ、とつんざく。頭の中で鳴り響く。癲癇の人は大変だろう。シャドーフリッカーの点滅では、普通の人でもオカシクナル。よくもカチンコチンになって我慢するな。海外ではどの国でも風力反対やっている。日本人だけ、なんでこんな虐待の嵐に喜ぶんだろうか。

水俣や福島の弾圧を聞いたら驚くわな。それと同じことだ。コラボでやりませんか。冗談交じりに公害反対の真実を知る。有田平野の風力キャンペーンには辟易した。おちょくられたんやね。有田川町、広川町、日高川町、とそれぞれに繋がっていた。同じ言葉を何回も聞かされる。「私たちは土砂崩れが心配なんです」とな。奇妙なアプローチに、何だろ❓と首を突っ込んでみた。

知っている人もいるだろうけど、山奥のヘンな人たちだ。「下(シモ)の方の人」そんな言い方をする。歴史上、合戦で落延びて生き残ったんだろうか。我家も落ち武者の歴史があるからね、それがよく分かる。鎌倉幕府、北条高時の子孫が福井の山中に最近まで住んでいたという。我家もその近く、竹田川のほとりに住んだと聞く。源氏と平家の末裔が、たぶんにらめっこしたんだろうかね。

それが山奥のヘンな人の感覚だ。とくに高野山にも住んだらしいから、彼らとは交流があったはずだ。いや、生きるためには沈黙かいな。猜疑心だけが残った。しょせん、ヘンな人たちだった。風力に精神支配される。家畜にされる。社会心理学として、どんな災厄が効果を発しているか、見所いっぱいだ。役場や議員に這いつくばる人を見る。アレアレ、エライもの見たよ。