今朝の産経には、秋田の風力事故が載っていた。公園なんだってな。和歌山にも同じような風力公園があって、一時は大賑わいして持て囃されていた。宣伝文、風力キャンペーンの凄かったことよ。でもすぐに誰も近づかなくなった。気持ち悪くなるし、耳がキンキンする。煌びやかな環境文章は何だったんだろう。私は土木設計で、公園などの環境業務をやったことがある。ダムとか発電所の周囲を、樹木で覆ったり、桜の木やベンチ、遊歩道の図面を書いた。
それでな、風力公園も大変なカネかけているやないか、と分かるのだ。その核心が危険な低周波音を発していたらアカンわな。見てのとおり、広川風力は廃墟になっている。日ノ岬では破壊された。タブーだ。言うたらアカンらしい。有田風力なんか恐怖感さえある。人々の呪いの怨念が渦巻いている。由良町でも同じことだ。笑って喜んでいる奴もいるけどな。どんな酷い低周波音に曝されても平気な人はいる。
キョトンとしているから、本当に分からないらしいのだ。被害に苦しむ人を見て笑うことよ。畑地区だと、ほとんどの人が影響を受けて「何か」を知っている。死んだり、塗炭の苦しみに狂う人、ヘンになったもの、社会の変革に薄ら笑いしている。風力反対、だけはない。これだけの被害を見ても、誰も何も言えないのだ。「由良さんのセイでこうなった」という。イヤハヤ、もう人じゃなくって、人形みたいなものだ。
支配、というより人間破壊だね。ここまで至る精神世界には、たくさんの魔法や呪文があったことと思う。社会心理学の世界だ。人口5000人の小さな谷あいの町で、いったい何があったのか。分析してみるととても興味深い人間心理の論理が見えてくる。それぞれに都合のよい解釈がある。自分だけは大丈夫だと思っている。遠くから、毎日、見ている人たちがいる。日常の被害風景だ。
高速で風車が回っていたり、数日、まったく動かなかったり、と、生体実験や、いろんな実証実験があったことだろう。h18年の東伊豆町でも、悲惨な地域対策があったと聞く。ボロクソよな。それらと比較すると、秋田の事故なんか、なーんや、年寄り一人かい、と笑うか。ヘビの生殺しで、苦しみながら殺された人々がいる。アホよら、と笑われながらヘンな人になって死ぬ。人々は大喜びよ。
「風力の被害など聞いたこともない」という。産経記事の卑しさよ。これを読む日本人も、何が悪いのか分からんのやで。問題の大きさを取り違えてはならない、ってか。地球温暖化、電気をどうするんだ。無知蒙昧を見ないか。海外の風力反対との違いは、じつに日本人の精神構造にある。人の不幸が面白い。とくに田舎ではな、手を叩いて笑うからね。由良町でも、広川町でも、有田市でも、笑いものよ。
みんな喜んでいるんだからいいじゃないか。秋田にも生贄の風習があるんでしょ。南米やアフリカの原住民顔負けのカルトだよ。インディオやアボリジニでさえ、低周波被害に抗議している。日本人にそれが出来ないとは、驚くべき発見だ。特殊な精神操作なんか。単なる弾圧なんだが、日本人のアホさが際立つぜい。世界の笑われ者よ。





