黙っていたら殺される。

今朝の産経には水俣病と石綿訴訟の記事があった。SNSには載らないね。情報は管理されている。その時だけ、やり過ごしたらいいじゃないか、という。被害者は死んでいるから、死人に口なしだ。もし生きていたとしても、何を言っただろう。AI(人工知能)とやらも、いい加減なペテンになっている。検索結果など、何とでもなるのだ。これらの公害を見て、国が、行政が、政治が、なにをやったか、しなかったか、そのドラマが明らかにされている。

被害が分かっていながらやっているからね。現場では、社会の有様が魔法の世界に変えられる。チッソ、チッソ、と何のこと言っているのかと思ったら、タダの奴隷だった。そんな体験したんでしょ。言うたらアカン,とな。由良町には、風力発電を作る大企業が二つもある。道理で周辺には風車が林立している。企業城下町という現象が、「チッソ、チッソ」の言葉と重なった。風力業者、役場の悪さよ。

猛り狂ったように被害者を弾圧する。人々は大喜びさ。私は、魔法の世界を見た、と思ったさ。人が、こんなにもいいように操られてしまう。同じ言葉、スローガンを繰り返している。とくにその工場で働く職人たちの異常な言動よ。水俣チッソと同じパターンを見る。企業戦士か、奴隷かい、と眉を顰めるだけよ。大きな組織に属すると、権力の手先として自信たっぷりに悪事が働ける。

差別の厳しい所だからね、人を貶めるのは日常のことだ。オマエは同和やろ、と言いに来る。そんな奴らよ。だから畑地区の風力被害が面白い。精神構造がそうなっていたのだ。先日、秋田の人から「同和って何ですか」と聞かれた。秋田には差別地がないらしい。これは45年も前、長岡技大の担任の先生から「秋田には、関西の差別地、同和がないんだよ」と言われていた。へ~え、と答えたもんさ。

じゃぁ、風力発電の被害者を、どうやって差別するんだい、と逆に聞き返した。被害に関心がない、どうも思わないみたいですね、という。北海道でも同じような話を聞いた。だからか「市民風力に被害はない」とヘンなこと言っていた。共産党みたいだ。環境運動と風力発電は深く結びついている。それが石狩や札幌の現実だ。御用学者を担いで賑やかなことよ。まるでカルト集団だ。

なんで風力発電反対なんだ? と根本のところで食い違っている。それが秋田や山形と繋がっているから話がややこしい。やはり差別問題がないと、水俣病のように説明が進まない。差別心、蔑視が、風力被害の大きな主役でしょ。弾圧は、精神疾患のもの、不具者、障害者としてのあざ笑いでしょ。環境省の調査報告書にはそのような記述になっている。アホよら、と笑いものにする。勝ち誇っているやないか。秋田や山形の人と話すと、風力被害の説明が難しい。私が、言い負かされてしまう。

「土砂崩れじゃないでしょ」と言っても通じないのだ。騙されてたらいいじゃないか。アホラシ、が実感だ。和歌山の海南市の風力のyoutube動画を見た。投稿者ktneij「風力説明会20190214」とある。業者の答弁に笑ってしまう。年寄りばかりのお楽しみ会みたいだ。ここは下津町大窪地区の、汐見先生が活躍した有名な風力地だ。弾圧が有名でな、被害者を叩きだして喜んでいる。風力バンザイよ。

だからこの説明会でも、一切の被害者は出てこない。ワンダーランドになっている。吉本喜劇に笑うしかない。被害者がこれを見たら泣くやろ。しかし有田平野では、風力はタブーになっている。誰に聞いたって応えはない。無視される。暗闇を見せられる。由良町と同じだ。差別の厳しい地域だからね。ワシらは面白うてならんのや、という。和歌山独特な風土病になっている。精神破壊もあるしな。

由良町では、手を叩いて踊ってみせる。「アホよら、アホよら」とクルックルッと回って踊るんやで。これが役場の現実だ。だれも何も言わない。恐ろしい被害地の風景だ。被害に遭ったら、逃げるしかないのか。海外では、どの国でも烈しい風力反対、抗議デモをやっている。日本だけ、なぜな、と思う。言うたらアカンのやで。おかしいやろ。

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