前ページでは有田市や広川町の風力地域を視察して、音環境の実態を体感した。行ってみたら分かる。地図で見るだけじゃなく、人の話を聞いているだけでもなく、やはり実際に被害地に行って、自分の目で確かめるのだ。広川風力はh17年稼働、たくさんの人が訪れている。ここに添付した記事は汐見文隆『左脳受容説』の一節だ。この時、下津町大窪地区にも被害者がいて弾圧が明らかになっていた。
和歌山だけじゃないけどね、全国に風力被害者がいて、助けを求めていたのだ。ところがな、ここでも被害者たちから総スカンを喰って追放されてしまう。「一部の事を切り取って利用する悪い人たち」なんだってさ。私も現地の人に怒られたからね、よっぽど嫌な奴だったんだろう。私の母の実家がこの付近で、同じミカン農家だから、気楽に話が聞けた人もいた。「あいつは絶対に何も言わんど」鷲掴みにして確信していたよ。
被害者は他にもいる。たとえ被害感はなくとも、煩わしさは、その被害感覚は分かっているだろうに。精神被害もあるだろう。特殊な真空地帯になっている。こんなにたくさんの人が珍しそうに見に来るんだもの。動物園じゃないって。由良町の事か。風力からは低周波は出ていない、と言っているからね、大したもんだよ。ここはかつて原発計画地だった。だから何でもいいやないか、という意識がある。
僻地というのか、田畑は銀行の抵当にもならない。独特な厭世観、卑下を見ることがある。海の景色が良くて、何もなければとてもいい世界なんだよ。やはり人間が悪い。自然と差別心みたいなのが出てくるんだろうかね。50年前に原発反対した矜持はどこにも見られない。この部分だけの被害だから自業自得だろう、というか。同情心は聞いたことがない。アホにして笑うだけよ。これと同じ心理は、由良町畑地区か。
風力反対運動には参加しなかった。むしろ風力に賛同して喜んでいた。一転して泣き叫んでいたけど、再度裏切って被害を否定している。何でもいいのだった。精神疾患のものと言われる。こんなトコですわ、という。自嘲じゃない、狂気を見せられて引く。やはり自業自得かい。人間否定でしかいなのに。私は、もし汐見文隆氏がいなかったら、下津町の風力被害も、広川町も、由良町も、ここまで低周波被害の概念は伝わらなかったと思う。
科学、物理的には分かっていても、医師の立場から明確に論じることは、他の人には出来なかった。とくに自費で低周波測定器を購入して問題解決に乗り出す。この気概がな、とても素敵やないか。他の環境運動家に、こんな先駆者はいたかい。ニーナピアポントも医師だ。だからそれらの本を読んでも同じ記述になっている。偶然の一致か。違うよ。真実は一つだ。アマゾンの書評欄にはすごい批判のコメントが書かれていた。
どちらが正しいかは明確だ。日本の環境省の報告書を見たら、悲惨やろ。これが日本の環境省の悪事やで。根源にはどんな論理があるんだろう。水俣病の時も、ごく最近まで水銀被害を否定していた。今も被害者を否定して裁判が続いている。恐ろしい行政組織だ。地域支配が徹底している。誰も抵抗できないのか。原発計画の時、あれほど烈しく対立したのに、そんな感情も今はどこにも見られない。
被害者をアホにして笑うだけよ。じゃぁ、海外でやっている風力反対・抗議デモは何なのだ。日本人は大人しいのか。違う。心理トリックが酷過ぎる。これが日本独特なイエローマジックかい。世界の笑われ者よ。家畜になって喜ぶか。何のために風力発電を建設するのか。精神破壊が明らかになる。以前に聞いた原発反対の声はどこにもない。原発と風力はコインの裏表か。心理トリックなのにな。
犠牲者、生贄、そんな話もあるんですか、という。危機意識はどこにもない。風力被害は頭をやられるしな。黙っていたら殺される。それが分からんか。



