いろんな話にしてテーマを薄める。

水俣病のニュースをs56年頃から見続けている。新潟県長岡市でお暇な学生時代を楽しんでいたので、図書館の新聞は意外にも効果抜群の知識となっていた。66才になった今も、それらから学んだ厭らしい策略は多い。言葉のすり替え、自称被害者の変心、環境運動の闇、その地域独特の風土病やな、と思ったさ。最近出た水俣関連の本も数冊読んでみた。著者に電話してみたけど、ボロクソやな。やはりな、と思う。

ひっくり返っていた。元の木阿弥よ。いや、初めからそうだったから、原田正純や日吉フミコは奇跡だったのだ。散々な弾圧を被ったと聞いている。被害を訴えたらこうなるのだ。日本の原理主義やな、そう思わないか。コラボでやりませんか、と言う話に、今さらのように公害のカラクリを見透かしている。分かる奴は和歌山にもいるのだ。それも由良町にさえも、どこかに秘かに風力被害の真実を分析して判断していることだろう。

これだけの悲惨な低周波被害と弾圧物語を前にして、誰も何も思わない、なんてあるはずはないわな。私はそう信じているし、だからこそ総スカンの選挙もしたし、風力裁判にも正直にこたえた。町民は皆大喜びよ。やったね。風力発電の被害を訴えたらどうなるのか、全国に発信できたと思う。なにより被害者たちの裏切り言葉、「関係ない」などの名言を罵声と共に聞いていた。

我家は旧家で、これまで先祖はたくさんの恩恵をもたらしてきたと聞いている。それが反感となって、私に敵意を持っていたんだろうか。たしかに私は出来が悪い。小心者で意気地がなく、勉強はカラキシ駄目だった。事情があって、細々とミカンと米を作って暮らしている。それだけでも人々の非難があったんだから、これも先祖の弊害よ。有り難いのかどうなのか、持病も含めて運命と受け止める。

誰も言えないのなら、私がやってやろう。そのアホ役、私がもらった。そう思っただけさ。地域の人だけでなく、環境運動家たちから「オマエは同和やろ」と言われるから「違う」と家柄自慢をしている。これも策略の一つかもしれない。嫌味な奴よとな。古い百姓屋に一人暮らしで誰とも交流はない。ちょうどいいやないか、迷惑のかかる家族がないなんて理想的や、と言われたか。上手く乗せられた感、はそれほどない。

警察にもそう言われたけど、私は自分の意志でここまで来たと思っている。被害者たちがあまりにだらしない有様だったから、そして人々の私に対する敵視だ。役場の地域対策はすぐに分かった。苦しみながら死んだ被害者に義理立てする気持ちはそうないけれど、私も結構苦しんで肋骨を2本も折って大変な経験をした。私がやらなきゃ誰がやる。今もそう思っている。

死人に口なし、はいいけれど、今も現役で被害に苦しみ喘いでいる人がいる。そいつは人ではない。ロボットか家畜だ。私を大層憎んでいて、人としてはもう終わっている。被害地域ではどこでもそうでしょ。だから、という訳でもないけど、添付の記事を見るとまたやっているな、と狂気の沙汰として見るのだ。時間を巻き戻して、彼らの記録をたどるがよい。私のホームページにもたびたび利用してきた。

途中から非難に変わり、傍観する。御用学者を担ぎ、環境運動家、政治・行政のアホらしさを見る。土砂崩れが心配かぁ。風力祭りで賑わっていた。由良町でもそうだけど、ほっとくしかない。風力は詐欺なんだよ。反対デモまでもな。虚構の風景をこれでもかと見る。一つ、別視点に転じると、日本海側にはレーダー基地が多い。風力発電はその受信を妨げるという。私は風車本体が邪魔になると思っていた。違う。

超低周波音が、原爆実験やミサイルの探知に影響するらしい。風力の発する低周波音は100㎞も伝播する。破壊工作かもな。オッと、いろんな話にしてしまった。風力は、周辺の住民に大変な健康被害を及ぼす。それを心理トリックで洗脳支配するんだから大したものだよ。それだけ日本人がアホにされている。弾圧・支配が面白い。なんせ精神疾患のもの、とまで書いてオチョクッテいる。日本人は大喜びさ。

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