私はh23年11月末からの参加だから、もう13年もやっている。当時の風力被害者はどうしているんだろう。誰も関心なしで、地域対策のキャンペーンばかりが賑わっている。「考える会」の実態も分かっただろう。社会コントロールなんだよ。水俣や福島でやっているから、関係者ならピンッ、と来るはずだ。私は原発の仕事に関係したので、各地の原発地域の管理の厳しさを知っている。
なんせ由良町の周辺には3か所も原発計画があった。s56年頃、賑やかに反対だ、推進だ、と言っていたじゃないか。南海地震で津波が来るというのにさ、放射能とか、健康被害とか、危機感はまるでなかった。よくも和歌山県に原子力発電が出来なかったんだよ。その代わりに今、風力発電の被害に喘いでいる。みなさん、大喜びだ。なんでや? と被害者の私は驚いている。人の苦しみ死んでいく有様が面白い。
目まいや耳鳴りの、苦しみを訴えると、言うてるだけや! アホよら‼ とそれはもう感情丸出しで汚い言葉を浴びせられる。その人の悪意がな、伝わってくるんだよ。低周波被害者になると、音だけでなくって、感覚がすべてに過敏になる。他人の言ったことやあざ笑いに胸が痛む。泣き叫んでいた被害者が何人もいた。暴力を振るわれた人がいたという。
なんで抵抗しないんや、と思ったけれど、それは私の住む門前地区でも同じことだ。私以外にも被害者がいる。しかしジッと黙っている。私が低周波測定器をもって、「測らせてくれ」と言ったらもうすごい剣幕だ。なぜ怒るか? 被害のあることは被害者が一番知っている。被害の基準は被害者にある。たとえ10dbの空気振動・気圧変動でも、体調不良になる人がいる。
我家では2Hzで30㏈もの空気振動を観測している。それでも何も感じない人が多い。被害者になって初めて、その人の苦しみや悲しみを垣間見ることが出来る。それを見つけて叩きまくるんだから、モグラ叩きゲームのようにして、コテンパンな弾圧よ。最初から被害のあることは分かっているからね、ボロクソに消されてしまっていた。誰も助ける者なんかない。アホにしまくりよ。
下津町のミカン百姓なんて、9回も県の担当者たちが来て観測して、被害を否定して虐待した。大喜びする前で、被害者は泣いていた。涙を流して助けを求めているのに、だからこそせせら笑いして「低周波の法律はないんだ」と言い放つ。生贄の儀式だった。それを見た有田平野では、【本当は土砂崩れなんやで・】と言っている。地域の住民にとっても、風力祭りが面白い。
「土砂崩れが心配です」――「災害のない風力建設を目指します」と物語は完結する。風力反対なんてウソばっかしよ。山々には巨大な風車が林立している。その麓には被害者がいて苦しんでいるだろうにな。誰一人として低周波被害の苦しさを訴える人がいない。そんな状況を聞きに現地に行ったら怖い顔して睨まれる。精神被害のあることが分かる。由良町でも同じだからすぐに気が付いたよ。
海外でやっている風力反対みたいに、誰も被害を言葉にしないし、一人、いや家族がいるかもしれないが、黙っていようと決心しているようだ。社会は人を作る。ロボットを作るだったかいな。もの言うたらアカンのやで。歴史的には、有田川も日高川も、上流部には戦国時代に敗れて逃げて来た貴族や武士の子孫が暮らしていた。猿飛佐助の物語があるでしょ。紀伊山系を伝って、逃れて来たんやね。
我家もそうだから、逃げ隠れする人の心理が分かる。それで下流に住む人のことを下(シモ)の人と言っている。負け犬の遠吠えか。気位の高い人がいて困ったものよ。南朝系の奇人もまだ生きているかもしれないね。オッと、風力発電の被害は全国的だから、なにも歴史的な精神性がネックじゃない。たまたま私が旧家のボンで、それがターゲットにされているから、有田川や日高川の人たちを見て、その社会分析に気が付いただけのことだ。
一般性は特にない。でも北海道や東北地方の風力被害を見るとな、彼らにだって地域の事情が、歴史的な屈折があると思うのだ。エビスと言われた人々がかつて住んでいたんでしょ。淡路島にしろ、伊方町にしろ、それぞれに風力発電にやられている。何か事情があるわな。由良町もそうなんやで。アホにされっぱなしよ。苦しみながら死んだ被害者はご愁傷さま。これは何度言っても尽きることはない。
笑いものにされて惨憺たる死にざまよ。オーストラリアでの「pathway to disease」(風力発電は病気になる)の判決は重い。日本だけが、低周波は健康に関係しない、としている。誰がこんな呪いの呪文を掛けたんだろう。おかげで由良町では大喜びして笑っている。そうかい、そんなに嬉しいのかい。よかったじゃないか。私一人が変わり者になって笑われ者よ。この役も、案外気に入っているんやで。




