風力発電の生贄祭り。

書いているうちに分かる。情報を発信する。どんなに上手に論じていても、嘘はウソでしかない環境運動家や御用学者のアホらしさを見ただろう。「ドイツに習え、ドイツでは上手く行っている。日本でなぜ巧くいかないのかそのことを考えよう」ドイツ語で検索すればすぐに分かる嘘吐きだ。たまたま私はドイツ語を3年も受講したし、ドイツ人たちが我家に来て話し込んだこともある。ドイツでは日本車が人気らしいで。

安くて丈夫、長持ちするんだって。日本だって、ドイツ車が大好きだからね、お相子さ。それでも話しているうちにドイツ人特有なメルヘンMärchenに気が付いている。ウソつくなよ、と笑えてくる。フランス人と比べて、こんなに違うのかと思うのだ。しかし風力反対に関しては、表現は違うけど激しい風車の拒否を見せている。どこが、ドイツでは上手く行っている、だよ。

日本でやっている「考える会」のスピーチは、どこも紋切り型でマニュアル化されている。学者さんが受け持ちでアホ話にまとめて講演する。具体的なウソだから参加者は嫌でも意味を理解するだろうにな。お花畑になると言葉の意味も舞い上がるらしい。カルトとしか思えんで。風力反対と言いながら、なんで「市民風車に被害はない」というのかい。話しながら笑ってしまう。被害者がいて苦しんでいるんでしょ。

だったらその原因こそが悪いんじゃないのか。あるいは低周波被害を否定する地域対策の目的だ。初めから風力事業と地域対策はセットになって襲い掛かってくる。国策だから役場の策略よ。由良町なら三井造船由良工場とかな。水俣病と同じ構図になっていた。だからすぐにピンと来たんだよ。人の思うことに変わりはない。私以外にも、由良町で、被害の舞台裏を理解する奴はいるだろう。精神被害がスゴイ。

人としての意識や思考がなくなっている、ロボットになった人を見てきた。ご本人は分からないんやで。ワシらは何でも知っている、と言っている。つまりネジを巻かれているのだ。違うんだよ、自分の自頭で、認識する被害感はないのか、と問う。そんなことあるはずがない。オマエはアホよら、アホよら、と手を叩いて笑いものにする。これも同じ風景を何度も見せられている。役場から始まった。

それから被害地、同時に私の住む門前地区でも過激な嫌悪を見せつけられた。そんなに私が憎いか。人物破壊、人間破壊のスパイ工作に戦慄した。「何があったんよ、いったい何が起こっているんよ」と真剣に電話してきた被害者がいた。ターゲットにされてコテンパンよ。悪口だけでなく、人々は一斉に面と向かって嫌がらせに走る。対立とかケンカじゃない。被害者を孤立させて苛め抜く。生贄祭りよ。

ヘンな人になって狂ったら笑いもので済む。それを何か低周波とかキーワードを言うと、たちまち粛清されるのだった。誰も立ち向かう人はいなかった。話が出来ると思った人はすぐに死んでしまう。犠牲者かい、理想へのリスクかい、被害否定の論理が固められていた。心理操作、服従の心理に感動したよ。風力の儀式なんだよ。どの地域でも同じやり方で被害者は消されている。

この事件を隠すために、「土砂崩れが心配なんです」とか言っている。あたかも風力発電に反対ですと言いながら、核心の被害否定のプロパガンダになっている。この心理トリックが分からないか。全国の風力被害者は、なぜ一言も反論しないのか。私一人が偏執狂になって主張しているのか。もはや各地の自称・被害者に連絡することはない。そんなアホらしいことは「低周波被害者の会」の汐見・窪田の失敗談から多くを学んでいる。

すべて裏切りの拒否になっていた。私が由良町畑地区や三尾川地区に入れないのと同じことだ。個人はもとより社会として、私の言動が許せないのだ。それが人々の総意だ。『民衆の敵』と言ったら分かりやすいか。ダークヒーローよ。アホよら、と吐き捨てられる。そんなアホ役を汐見先生や窪田さんは繰り返した。神のごとく、信じたのは私一人だった。今、各地でやっている風力の地域運動を見てみろよ。

原発計画の時の賑わいと同じやで。原発音頭を踊って喜んだでしょ。風力踊りは、まさに狂気の爆発よ。呪われた町を喜んでいる。こんなになるんや、とその人を見る。生贄は町の誇りだ。関係ない。みんなこんなにして喜んでいる。もっと、もっと、巨大な風車を建てよう。もったいないんやで。そこまで社会が持つかいな。