フランス人と話していて、風力発電の被害になると、途端に口が重くなることに気が付いている。これはドイツ人でも感じていたことだった。ただ、ドイツ在住で、シンガポール人とか日本人では、アウトバーンでも風力は見かけないね、と言っている。普段の生活で風車を見ないというのだ。PCで検索して見ているのは、計画地であったり、既に風力被害に喘いでいる地域だ。
深刻な被害になっている。いや、日本だって、山々に囲まれているから低周波被害の酷さと言ったらない。それに弾圧がな、とても人間のすることじゃない。低周波の法律がないとか、役場の命令だとか、理由はあるんだろうが人々の被害者に対する憎しみ様はどうだい。被害者は心身にダメージを受けているから、まるで弱い者いじめが明らかだ。同情心とか優しさは見られない。
虐待、生贄にして喜ぶ。役場や環境運動家は苛めを煽るんや。「あの人はウソをついている」とな。全国で同じセリフが確認されている。金太郎飴みたいな、どこを切り取っても同じ弾圧言葉があふれている。人の不幸ほど面白いものはない。悪口に花が咲く。環境運動会は【お花畑】として仕組みれたものだ。各地の「考える会」はどこも奇妙な連中がたむろするでしょ。
決して風力反対じゃない。地域政策の一環だ。御用学者を担いでいたり、風力祭りに沸いているから、原発の時と同じ仕組みになっている。今回は自然エネルギー、脱炭素だからね。耳触りの良いフレーズが洗練されている。「明日では間に合わない」だって。いろんなたくさんのプロパガンダを見ただろう。すべて税金やで。自公政権だけじゃなく、野党も合わせて再エネだと言っている。
全体主義よ。環境省の報告書を見たら、いかにこの組織が風力被害を否定して、被害者を迫害しているのか分かるだろう。有識者会議の人たちを見ると、真っ黒けやないか。こんな奴らが各地で講演会をやって人々で賑わっているんやで。ウソばっかりなのに、誰も疑問に思わないんやね。低周波に健康被害はない、なんてね。風車から低周波は出ていない、とか。
これが有名大学の教授かい、と驚くで。それでも集まった人たちは拍手喝采して喜んでいる。いったい何のお祭りだろうと驚くのだ。たまに参加したジャーナリストから【ヘンな話やった】と報告を聞く。でも今はもうそんなカルトには近づかない。権力の腐敗がある。役場は暴力団事務所のようだ。警察の嫌がらせもあるしな。ナチス政権みたいに、日本なら軍国主義か、恐怖政治が一般化されているのだ。
和歌山では紀伊水道、西海岸一帯に大規模な洋上風力が計画されている。漁師たちはお待ちかねだ。海岸にも段丘にも、いっぱい風車を建てたらよい。さあどうぞ、と期待に夢膨らます。彼らには何を言っても通じない。これがフランスやドイツの風力反対と決定的に違う視点だ。周囲にはたくさんの風車が林立して被害者が苦しんでいるのにさ、お構いなしなんだよ。
恐ろしい社会破壊になっている。誰かが風力被害を言葉にして【止めろ】と言ってもいいんだけどな。私一人が奇矯な風力反対を論じているのだった。どうなるんだろうね。私も楽しみになって来たよ。東北地方や北海道では風力祭りで沸いているからね。和歌山にも是非と願っている。私一人じゃ、どうしようもないわ。苦しみながら死んだ被害者たちよ、これが顛末だよ。
私は源氏の末裔で人種が違う。そう自覚して確信した。孤高、孤立、村八分のお楽しみさ。「ワシらを見下しおって」と言われた時には笑ってしまったよ。その通りだから。たぶん海外から、外国から見たって同じことだと思う。話は逸れるが、これが原爆を二度も投下した精神的な理由だと思っている。「過ちは繰り返しません」と自虐するのだ。そして死んでいく。
畑地区では、「私たちは風力発電には反対ではありません」と言っている。各地の被害地域で言っている言葉と同じモノだ。言葉は精神を作る。精神支配が確立する。見事な地域管理を見る。水俣や福島でも同じでしょ。地域政策の恐怖を見ないか。被害はありません、とな。とまれ、日本在住の外国人は、冷静に日本人の特質を見破っている。
フランスだけじゃないけど、世界中でやっている風力反対と、日本のイカサマ反対と、ペテンの心理トリックは簡単に見透かす。分からないのは日本人だけだ。転落、アホにしているやろう。カネ儲けのダシやで。あるいは凋落する日本国の理由がな、日本人にあることがバレている。この野郎、と思わんか。



