h23年の事だけど、門前地区でも風力発電の被害が伝えられていた。風車の麓、畑地区に悪い人がいるらしい。個人名はまだないものの、ナニカ不気味な被害に苦しむ人がいるらしい、アンタどうもないか? と聞かれたもんさ。私は門前地区の「伊賀田」班に住んでいる。周囲には20軒ほどの民家がある。60年前は添付の写真のように、田畑が広がっていた。早春に祖母と私が写っている。今は家が建て込んでいるかな。
住民たちには風力被害はないかと聞いている。h19年に、興国寺主催(汐見グループ)で、風力反対の署名運動があった。阿戸地区では汐見先生の勉強会があって、日高町との間の風力計画(1回目)が中止になる。私には何も知らされずにいた。署名も拒否したしな。白紙委任なんて、とてもできんわ。結果として、興国寺の裏山に風車は建たなかった。しかし中地区には2000kw、5基が建設されて轟音を立てている。
ワッ、と由良谷に低周波音が広がった瞬間だった。音圧が凄かったで。たくさんの人が低周波被害を訴えて混乱した。役場や警察は予定通りだったんやろうか。それ以来、私は13年間も風力被害を訴えている。これだけ苦しみながらまだ生きているんだもの、使命とか信念になる。この間、たくさんの被害者たちの死を見た。私だけ被害を見たんじゃないだろう。初めに風力被害を伝えた人たちも今はない。
それでな、周囲の住民たちがすべて「被害はない」と言っているんやで。中には私に対する憎しみや敵意を露わにする人がいる。叫ばれるから、よっぽど感情的な理由があるようだ。風力の低周波は精神に影響する。それに扇動・心理操作が加えられる。その結果として私を罵るのかい。アレアレ、人物破壊のコマにされてせせら笑いに喜んでいる。何がそんなに嬉しいんだろうと、その人の正体を見る。
たぶんh23年の段階で、百姓たちには風力被害のあることは知られていた。私だけに畑地区の被害が伝えられたのではない。田舎の百姓たちとはそうしたものだ。私も根っからの百姓だからね。つまらん世間話に愛想笑いもする。h24年になったら、もう駄目だった。環境運動家やジャーナリストたちがやってくる。日弁連の環境チームとか。各地の風力被害者から電話があったり。まだ東伊豆町に電話しても返事があった。
それが急転するんだよ。私は村八分で総スカンよ。こんなになるんや。「被害なんかないっ」と人々は叫ぶように言う。「オマエは元気やないかっ」とな。畑地区の・と言うと、「関係ない」と怒られる。もう畑地区からは追放されていたしな。苦しみ死んでいく被害者を見ながら、どうしましょ、と一人、モゾモゾとしたもんさ。同じ風力被害者でも、生死を分けたものがある。理由は分からない。
みなさん病院へ行っているから、カルテに記録があるだろう。町の定期健診にも、被害を訴えていた。認められることはなかったけど、低周波被害の真実を、医者も役場も知っていた。なぜな❓ それが私の憤りになって抗議を続けている。「伊賀田」班の全員(50人程度)が、判で押したように同じセリフを繰り返す。見事な洗脳だよ。いや、門前地区が、由良町のどこへ行っても同じことだった。
とくに風車の麓の畑地区がスゴイ。北側の三尾川地区でも、それは笑い話のようにして険悪な社会になっている。広川町の西広ではな、「誰も、何もよう言わな」と自嘲する。すでに山本地区の風力公園は廃墟となって誰も近づかない。険悪な感情だけが見せつけられる。なんせ、たくさんの人が聞き取りに行ったからね。「風力・」と言ったら怒られる。由良町でも同じことだけどな。なんやろ、この息苦しさは。
間違いなく低周波被害者がいる。被害感はなくとも病気になる。イライラ感、精神の高揚、症候群Syndrome、焦燥感が伝わる。精神被害が常態化するんやね。我家の周囲の人を見ると、すっかり被害環境に馴染んで支配されている。決められたスローガンを叫んでいる。まるでロボットやなぁ。私一人が風力発電の被害を伝えている。エライ役を貰ったよ。魂を奪われた人たちよ、何かモノ言わないか。





