この写真を見て、風力発電がどれだけ人々に負担をかけ、マイナスな精神性を植え付けたか、日本人も実感したんじゃないか。被害者だけではない、国道42号や、紀勢線の電車で通り過ぎる人は、何があるのか確実に感じ取っている。世界共通の風力被害だ。日本人だけ、それが分からない、なんてことはない。確かに、世界中で風力反対やっているのに、日本にはそんなもの一つもない。
あるのはペテンのエセ反対で、心理工作、地域対策があるばかりだ。「考える会」、自然保護団体、環境運動家、何重にも取り囲んで被害者を消し去っている。どんなに弾圧があったって、反抗する人はいるだろうに、今回の風力被害だけは、特殊な理由があるようだ。公害の悲惨は皆特別だけどな。風力発電は精神を破壊する。その地域の人すべてが可笑しくなる。由良谷の、各地域の人に聞いてみたらよい。
見事なほど決められたセリフを繰り返して聞くことが出来る。被害者はもう誰もいない。恐怖社会になっている。私一人さ。本当はたくさんの低周波被害者がいて苦しんでいる。私に対する敵意がスゴイ。方向が違うだろ、と思うけど、とうに皆さんイカレテイル。役場や議員にはヘコヘコして媚を売る。吐き気のするような奴隷になるのだ。ここまで落ちるか。被害感のない人でも、ガンになることが分かっている。
脳梗塞とか、ヘンな人になるのだ。一般的に見て、薄っぺらい人になる。摺り込まれたセリフだけで話すから、アッ、破壊されているんや、と分かるのだ。被害は認めない。【被害はないっ】と叫ばれる。生きていくための条件反射になっている。被害者に対する優しさとか、思いやりなんてない。あざ笑いだけ。勝ち誇っている。上下関係が明らかだ。アホよら、と笑いものに出来るから。風力の支配が完成していた。
誰も風力を論じることはない。議論はどこにもない。風車教というけれど、まさにカルトよ。社会支配のツールとなっていた。まさか民主主義じゃない。シンボルとしての風力発電の威力を見たか。風力推進の気配が地域を覆っている。風車を立てないと「もったいない」んやで。秋田や山形を笑えない。何のために、という思考がない。Philosophyがない。ペテンの環境運動会があるばかりよ。
【お花畑】て怖ろしいわな。市民風車に被害はない、なんてよく言うで。ソ連の共産主義やないか。恐怖政治よな。粛清。生贄祭りよ。殺された被害者たちはご愁傷さまだ。私は、できるだけの反抗をしてきたつもりだ。総スカンに泣いたけどな、それも実績だと考える。今、日本社会はいろんな、たくさんな被害に襲われている。結局は日本人の自業自得だと分かるモノばかりだ。政治家や行政のアホらしさを見たか。
すべて日本人の反映だ。平和の代償かい。このまま日本は潰れていくんだろう。自民党も民主党もなく、ゴチャ混ぜな、混沌とした地域社会となる。昭和は遠くなりにけり。高度経済成長や、バブルの時代は楽しかった。夢があった。風力発電に夢を語れるかい。嘘八百やろ。グローバルな、というけれど、日本だけ、デストピア化しているで。由良町の風力被害を見て、まるで動物園やな、と思わないか。仕組まれた罠よ。全国で同じ被害でしょ。反抗しようじゃないか。




