最初にこの言葉を聞いたのはs56年、新潟県長岡技大であった。全国の高専から進学したい学生が集まっていた。入学試験はない。周囲は牧場やタバコ畑で、信濃川を挟んで北アルプスの雪山が見渡せた。田舎の山の中よ。私はのんびりと図書館で新聞の乱読をしていた。水俣病の記事を見ていると、水銀被害の事が書いてあって、どうにも記述が腑に落ちない。風土病やな、と思っていた。
その時、長岡市でも、「ツツガムシ病」という風土病があって気を付けるように言われていた。夏、風邪を引いたように鼻水が出て、熱が出て死んでしまう。マダニの毒だとは言われていたけど、夏になればどこでも草が覆いかぶさっている。長岡花火は、だから川の土手まで行ったらアブナイ、近くの民家に頼んで、ベランダや屋根の上から見たらよい、と言われていた。
私も川沿いの民家の屋根に揚げてもらって三尺玉の花火を見たもんさ。空気振動がすごかったで。もう45年前、何という優しい時代だったことか。九州の八代高専からは数名来ていて話したことがあった。同じ学生寮で、酒飲みながら、水俣の水銀はホンマかい、と聞いてみた。それがこの返事だった。他の八代高専の人も、申し合わせたように何も言わない。ヘンな奴らよ。
そんな事があって、風力発電の被害で、少しでも知恵を付けようと水俣病の本を読んだ。ユージンスミスのワイフが京都にいるらしいので電話してみた。アイリーンが本になって出ていたからね。私を買いかぶっていませんか、だって。スタンフォード大、さすがやな、と思った。他の水俣人とも話したけど、大体がs56年の学生たちと返事は変わらなかった。簡単に言ってもらいたくない。という。
水俣にも風力計画が何度もあって、特殊な環境運動家たちに管理されていた。水銀被害とエセ環境運動会、こんなになるんや。水俣病は終わっていない、というはずだ。私は由良町で、これでもか、と弾圧を受けているから、他所の風力被害を聞いても、何が悪いのか分かっているつもりだ。h18年の東伊豆町の風力事件でもコテンパンだった。今やっている秋田や山形の風力被害でも、同じ災厄になっている。
手が付けられない。被害者だけがワリヲ見る。あざ笑い。差別、敵視。社会が粉々に破壊される。誰も被害を訴えられんのかい。太平洋戦争の最期と同じことで、思考停止、特攻しかないんかいな。自己崩壊やないか。自己家畜化とか。日本が破壊されているのに、政治家・議員の悪いことよ。これが日本人の反映かえ。笑わせるで。日本でも風力発電反対をやらないか。
「考える会」はペテンだ。真実を駆け抜ける人材が必要やないか。アホよら。関係ない。と言い続けるつもりか。




