風力発電の被害を、順を追って見渡すとよい。由良町だとh20年から延々と地元住民の被害を隠し続けている。これまでは住民の1~3%が被害に遭うとか、30%が、何らかの影響を受けるとされてきた。あれから13年経った今、小さな谷あいの町の様子を見ると、100%やな、と思っている。ほとんどの人は何も思わない。私に対する嫌悪だけは明らかにして、もう普通に話すことはできなくなっている。
【被害はないっ】と叫ばれる。現実は低周波音に苦しむ人は60人ほどいる。それでも風車病を言葉にすることはない。タブーなのだ。昔からこの地域は〇〇と差別言葉で呼ばれていた。そのぶり返しやな、と分かる。私が風力裁判にかけられたとき、そのことをはっきりと自覚した。親父の言葉は正しかった。客観的に見て、何が悪いのかは明らかだ。それでも誰も何も言わない。
それを言ってしまった私に対する敵意よ。とくに私が住む門前地区ではすっかり村八分だ。それぞれの人の本音が、正体がよく分かって面白かったかな。元々は私より先に、畑地区の風力被害は多くの人に伝えられていた。私はh23年11月末に谷口愛子さんの悲鳴のような電話を貰ったけど、9月、10月には近所の百姓が、畑地区の風力の被害を話していた。
h24年にはその人は手のひら返しで風力被害の話を否定・言うたらアカン、と叫ぶように言っていた。被害者に対する蔑視がすごかった。元々に差別心があるからね、畑地区だけ、組織的に風力反対の署名を拒否していたし、生贄として、自業自得だ、みたいな決着があった。私の周囲にも風力被害者がいたけど笑いものよ。我家が、私が、何者であるのかよく分かったよ。先祖からの遺伝子なのだ。
周辺の人とは違う。私がその最後の生き残りであった。60年前、幼少の私が由良守應の顕彰碑の除幕式の紐を引っ張って儀式を行った。やっと今、自覚している。エライ役を貰ったよ。由良町の人を見て分かるように、何でもいい、どうでもよいのだ。風力発電が何であれ、反対でも賛成でも関係ない。アホよら、としか言わないし、そのレベルでしかない。その程度の人たちであった。
私への嫌悪がな、沸騰していて面白かった。それも千年、この地に暮らした経緯と結果だ。畑地区の谷口さんらに依頼されたから、とか、そんな些末なことではなく、地域に根差した歴史的な評価がこの有様なのだと考える。平安時代の京都からの都落ち、南北朝の動乱など、戦にかまけてきたという。高野山にも隠れ住んだという。それでも由良に帰りついて今に至る。歴史観がある。
我家に伝わる正義感だ。だからさ、「考える会」などのペテンが簡単に分かるのだ。もっともジャーナリストたちは彼らの欺瞞を見破っていたけど。環境運動家たちは質の悪いテロリズムだと思っている。SNS、Xでも汚い返信メールが繰り返される。何度ブロックしても懲りないね。そんな専門集団がいる。住民は常にネジを巻かれている。家畜化、動物園だ。これだけすごい被害を見ても、何も言葉がない、らしいのだ。刑務所やな。
https://www.youtube.com/watch?v=VKobo1caigg r7.11.10 由良町の風力恐怖これから
https://www.youtube.com/watch?v=5LE0MpH5Q-A 由良町畑地区の様子。






