奴隷への道

2018年にオーストラリア行政裁判所で「Pathway to disease」(病気への道)と、風力発電の被害が認められた。このニュースは世界中を駆け巡って、各地で同じ裁判が繰り広げられる。低周波被害、風車病だ。h30年の事だから、日本でも相当な衝撃があったと思う。しかし日本の現実は風力被害の否定と、被害者の弾圧であった。私のこのページでも散々に論じたつもりだ。

各地の「考える会」など、環境運動家たちのペテン、イカサマがより明瞭化される。風力被害の真実を知る人は幾らもいたのだ。それがなぜ「土砂崩れ」だの、地下水の汚染になってしまうのか。言葉のすり替えと心理トリックやないか。私一人が抗議している。どこへ行っても私は嫌われ者さ。やはり由良町が一番ひどい。間近で、これでもか、と見せつけられるからね。

被害の様子をSNS、Xで発信しているけど反響はない。世界共通の低周波被害に、日本人だけ認識がない。理解する能力がないのだ。特殊な、脳の生理的な欠損がある。これは人為的に思考や価値観を誘導されることが分かっている。ナチスのホロコーストもそのようにして起こったとされている。社会が人間を作るのだ。これと同じ論理で、狭い谷あいの町で、由良町で何が行われたのか、実に興味深い社会現象として犯罪を明らかにしてきた。

役場職員や議員たちの言動を発信した。被害者を目の当たりにしながら、大喜びやないか。生贄の儀式だった。みんな知らないんじゃない。地域ぐるみ、町全体で被害者の事は見て知っている。アホよら。せせら笑い。死んでいく被害者たちの哀れなことよ。とうに頭をやられていたから、それほどではなかったかもしれない。しかし涙を流して泣き叫んでいた。私だから見せた感情でもないだろう。

「風力の被害など聞いたこともない」それが人々の結論だ。実際には私だけでなく、大勢の被害者が苦しんでいる。まさに「風力発電は病気になる」が連続している。精神被害がな、気になるところだ。ニーナピアポント『Wind Turbine Syndrome』と共に、Dアイカー『死に山』には精神錯乱の現実を報じている。低周波被害で死んでしまうのだ。だからこそアメリカやヨーロッパではあんなに烈しい反対運動を展開する。

被害の現実がある。否定の仕様がない。それに対して日本政府は「海外に知見はない」と書き記す。この狂気は何や。日本人はなぜ誰も何も言わないのか。反抗しないのか。私一人が風力発電の被害を発信している。士苟も正を得て斃る。上手く立ち回って、身を守ることに価値などあろうか。ありはしない。