由良町の畑地区は、全国有数の風力被害地だ。秋田や山形の風力と違って、狭い谷あいの集落に低周波音が充満する。酷い時には2㎐で90dbに達することもある。耳をつんざく。圧迫感が半端ない。体をねじ伏せられるような迫力に襲われる。ナニ、これは? と魔法の世界に迷い込んだ気分になる。オカルト映画そのものだ。試しに低周波音を測ってみたらよい。数字でも、グラフ化でもよい。烈しい気圧変動が見て取れる。
少し(1㎞ほど)離れると倍音、高調波のあることが分かる。音の響きだ。脳内に響き渡る。染み通るのだ。被害感のない人でも、性格が変わっていく。怒りっぽくなる。攻撃的な、いかつい顔してくる。ワッ、と鬼瓦の顔になった被害者を見る。そして「出て行けっ」と叫ばれるのだ。誰か抗議する人がいてもいいんだけどな、結局、13年経った今も、誰も何も言うことはなかった。【被害はないっ】誰もがそう叫んでいる。
「畑地区のみんなと頑張っていく」そう言っていたからね、平和的に、自称・被害者たちは消えて行った。実際は60人ほどの被害者がいるだろう。独特な精神支配を見る。もともとがそんな人々だった。いやいや、私の住む門前地区でも同じことだ。なんせ細長い谷あいの町だからね。この集落、と特定できるほどの区分はない。門前地区では私は変わり者の村八分だ。アホにされまくりよ。
13年前に、和歌山市の汐見先生から渡された冊子、資料を地域に配布した。新聞の折り込みにも、チラシを作って危険を知らせた。その見返りが総スカンとなって返ってくる。アホよら、と笑いものよ。エラク、皆さんは喜んでいるのだった。優越感、蔑視、嘲笑い、差別の厳しい地域だからね。低周波被害よりも、人を貶めることが嬉しくてならないのだ。一般化された風力被害に、人々は私に憎しみを集めていた。
この心理トリックがな、日本人にはお馴染みの心模様になる。水俣病でもイタイイタイ病でも、被害者差別がスゴイでしょ。福島の放射能でもな、被害者は汚いものとされている。放射能が移るやないか。「キチガイみたいに言う」と嫌悪される。【被害を訴える者は精神疾患のもの】だという。理不尽な話よ。海外じゃ、どの国でも烈しい風力反対デモをやっている。そして地域の人が集まって協力している。
日本とは真逆だ。風力被害は世界中同じものだ。同じ低周波被害に、外国では「NO」といい、日本では「関係ない」と言っている。各地でやっているペテンのエセ反対「考える会」見よ。「土砂崩れが心配です」と扱いている。とうに被害者がいて苦しんでいるのに、引っ越して逃げ出しているのに、「ワシらは土砂崩れや」と笑うのだ。つまり風力の地域対策よ。社会コントロールなのだ。
初めから、「あの人たちは何者で、いったい何を目的にしているのか、そのことを知ることが先決でしょう」と言われてきた。結局、誰も反抗することはなかった。由良町で私一人が低周波被害の苦しさを言っているのと同じ状態だ。しかも弾圧がな、叩きのめして吐け口にしている。生贄なのだ。犠牲者を見ながら喜んでいる。日本人に正義漢はおらんのか。道徳も倫理もないんかい。本当にいいもの見せてもらった。
役場も凄かったけど、人々の本音がな、我利我利亡者でしかなかったのだ。家畜かい。最近、近所のお寺が閑散としている。行事も、人の集まりもなく、留守番の老人が一人、ゴソゴソやっている。「関南第一禅林」の看板が泣いている。どこでもそうやろ、信仰心も、葬式もなく、セレモニー葬式がビジネスになる。仏教、仏の話から随分と離れている。薄っぺらな日本人の姿を見る。歴史とか、伝統とか、無くなりましたな。
これまでの風力発電の被害を振り返ると、いかに心理トリックの罠にハマっているのか分かる。「由良守生」と検索すると、画像欄は風車コマーシャルに覆われている。役場に電話してみな、「被害はありません」と嘯くばかりよ。全国、どこでも同じでしょ。SNS、Xを見てもな、誰も風力被害を言葉にできないんやで。もちろん被害の訴えは一つもない。私一人のたわ言よ。ウソやろ、とも思わんか。タダの奇矯か。全員一致の恐怖の社会現象を、由良町で見ているのだ。由良町はウソで出来ている。




