風力発電の被害で、見えてくるものがある。

被害者と、被害感のない人に分かれる。同じ地域に住みながら、この対立は決して交わることがない。同居人でもそうだから、隣の人のコトなんか分かりっこない。情報操作で、やはりヘンな人よな、と結論する。最近の話では、簡単に死んだ被害者たちの言葉、と云うか死にざまだ。何も聞こえないのに、低周波音で苦しくてたまらないという、嫁とか夫とか、その後に心筋梗塞や脳梗塞で倒れる。

それでも何が原因なのか分からない。年だもの。年取ったら誰でも具合が悪くなる。親子で死んでも、それは遺伝だよ。とくに不思議はない。そうかな? と私は見ている。小さな谷あいの町でも、その場所によって被害感覚が違うことに気が付いている。低周波測定器で測りながら、あちこちと調べ歩いた。開山興国寺は山に囲まれているからさぞや酷いことになっているかと思えば、全然何もない。

その周辺に被害者はいなかった。禅寺として有名で、座禅して瞑想にふけっていたら、たぶん低周波音の響きに感じるものがあるだろうに、雲水に聞いたけど、それもない。私は重症の被害者だから人間測定器になっている。バキュームカーとか重機に遭うと、もう大変な苦しみようよ。風力の低周波も凄いけど、身近でバキュームの被害に遭うと飛び上がる。もし君が低周波被害者なら、共感して笑うだろう。

すっかり内耳の器官が破損しているのだ。もう元に戻ることもないか。新幹線に乗ると、すぐに眠ってしまうから、あの電磁波の充満する車内で何があるんだろうと思っている。被害の周波数が、特定の環境があるんだろうね。由良町は奥の方から、畑地区、中地区、門前地区、里地区と分かれている。長さ3㎞しかないから繋がっているけど、それぞれに社会性があってな、支配技術の問題だろう。

我家は町一番の旧家だから、最初から特別視されていた。嫌悪の的よ。それがな、畑地区の被害者は簡単に潰されたけど、私はプライドが高いから世界では風力反対やっていると反抗した。答えは初めからある。被害に遭って苦しみながらも、黒を白と言いくるめる人々のあざ笑いが面白かった。人の不幸が面白いんだよ。私は世間知らずで、やっと地域の人たちの憎しみや恨みを体験することが出来た。

親父や祖父もボンだったからね。幕末、明治にかけて繁盛した時代があった。芸者遊びに使う羽織が何着も残されている。由良守應の羽振りの良さは有名だ。どこにそんな金があったのかと、私からすると羨ましい。今はわずかに残された田畑と家柄意識だけだ。鼻持ちならん、と人は言う。でもそのおかげでここまで持ちこたえた。鉄板の胸当てを付けて役場へ行け、と励まされたからね。

心構えがバカらしいほど必要だった。他の被害者たちは自己崩壊して泣き叫んでいた。そして死んでいく。役場は笑う。なんということだ。全国で同じ風景でしょ。週刊誌の記事になった東伊豆町、南伊豆町、伊方町、それから愛知県や山口県など、被害者はどうなったんだい。みんな苦しみながら死んでしまった。逃げ出した人も多々いる。みーんな、笑いものよ。

誰一人として、海外でやっているように「Stop wind turbines !」ということはなかった。地域対策、弾圧されて消えてしまう。自称被害者はすぐに裏切ってピエロになっていた。精神疾患の典型よ。コテンパンやな。なぜなんや、と私は訴えている。日本では誰も話の通じることはない。土砂崩れが心配です。よくもそんな出鱈目を言うな。こんな心理トリックにも、誰も反応しないからね。

被害者たちは全然やった。ウソつきばかりよ。一般の重機やエコキュートによる低周波被害もな、すっかり消えてしまっている。低周波被害者の会、汐見文隆医師や窪田泰の活躍が夢のようだ。彼らは幻だったのだ。日本だけ低周波音の被害がない。思想管理、情報管理が固められている。国を挙げて法律にして、政治や行政が被害者を否定する。水俣病と一緒や。差別の対象にして人々は大喜びさ。

風力のできる町は、待ってましたと喜んでいる。被害者は恍惚として死んでいく。あるいは狂っている。頭がガンガンしているのに、息も出来ずにふさぎ込む。私を憎み呪った人たちがいる。それほど私が憎いか。オマエは選ばれたんだよ。生贄、火炙りの刑にされたのだ。もしかしたら平和の代償だ。日本は平和過ぎたのだ。カネが有り余っている。それを吸い上げて社会を締め上げる。支配と秩序の結果だろう。

ここまでやるか、と反抗する人はいない。意思も思考もなくしている。由良町に視察に見えた人は多いから、何が変わっているのか肌で分かったと思う。役場で恐怖にあふれる対応にあった人もいる。まるで暴力団事務所だ。これが役場の正体よ。誰も何も言わないね。モノ言えば唇寒しか。君にも見えてくる風景があるだろう。水俣や福島と同じやで。元には戻らんのやで。反抗する奴はおらんのかい。