風力発電という虚構

テレビでは「地球温暖化をどうするんだ」と息巻いている。脱炭素、再エネを推進しなければならないと歌っている。ニュース番組のコメンターなんてオウムみたいなもので、自動音声と変わらんようになっている。マスゴミ、というはずよ。テレビは見ない、という人が増えている。でもインターネットだけではな、極端なデマが多いからね、その人の判断が揺らぐわな。

「由良町、風力発電被害」と検索したらトップ記事として【被害はありません】と出てくる。これも日本政府(政治・行政)がいいように情報管理している証拠だ。Googleの写真地図には風車が消されている。風力の闇を感じないか。日本人が何も感じない所が、日本原理主義だと思うのだ。「風力発電反対」、「風力発電被害」とそれぞれ検索したら分かる。

コマーシャル、お花畑、ペテンの被害否定記事、そんなもので埋め尽くされている。各地の風力反対? の有様はどうだい。土砂崩れが心配です、と言っている。被害者が苦しんで死んでいるのに、無視して、低周波被害に触れることはない。つまり地域対策をやっている。ペテンのエセ反対だ。土砂災害だ、水源地がある、川の水が濁る、いろんな言葉に置き換えられている。

核心の被害の味を薄めるんやね。水俣市でやっていることだ。いろんな話にして、水銀被害を消し去ってしまう。弾圧のコトもな。地域対策の闇に気付いている人もいるんでしょ。風力被害のカラクリは、世界的に定着している。日本だけ違う、なんてことはない。なんと、うっとおしい、と思わんかね。初めからウソだと分かっているのに、「考える会」だと言って低周波被害を否定して黙らせてしまう。

被害者を笑いものにして弾圧する。今では日本には一人の風力被害者もいなくなっている。見事なもんだよ。言論封鎖、箝口令、というより日本人の意気地なさが明らかになる。日本の原理主義だ。お上に逆らったらアカン。下見て暮らせ。どんな被害に遭っても、弾圧の嵐だったやないか。それがまた人々には面白いと言っては喜んでいる。由良町を見て分かるのは、一人として、風力反対なんか言うものはない。

私が何か言おうものなら、たちまち「アホよら」と叫ばれるのだった。谷口愛子さんのことは「あの人はウソをついていた」となっている。なにか反抗したらコテンパンに人物破壊される。隣近所、自治会から目の敵にされるのだ。私も門前地区でやられているから、悲惨な弾圧政策がよく分かるのだ。よくもここまで生き抜いてきたものだ。生死を分けたものが何なのか、私にも分からない。

「運」としか言いようはない。低周波を浴びて、ヘンな人になった奴を見ても、もう何も感じない。大なり小なり、人々は精神に影響を受けて高揚感を見る。受け売りの言葉を唾を飛ばしながら吹聴する。キチガイやな、と見ている。私のことも、「キチガイのように言う」と言われている。「1回、言うたらそれでいいんと違うん」とせせら笑うのだった。

低周波音で耳鳴りや目まいに苦しんでいるのに、それで被害者たちが次々と死んでいるのに、「黙れば~・」と笑っている。こんな精神性が由良町を覆っている。人の不幸が面白いのだよ。 人々には何を言っても通じない。潔癖な拒否がある。被害は認めない。ワシらは役場や。優越感にあざ笑う。どの被害地でも同じでしょう。レジャー化して、人々のお楽しみになっているからね、今さら、もう元には戻らんわ。

私は村八分の嫌われ者だけど、そんな人たちと一緒に仲良くなんかできんわな。いじめ問題ではなく、歴然とした殺人を楽しんでいる。水俣病の時と同じだ。差別視が確立する。その上で、「風力の被害など聞いたこともない」と云うんだから手が込んでいる。海外の風力反対の記事を見せても全く売れ容れられない。完璧な閉鎖社会が確立されている。まるで家畜やで。

私はそんな社会現象を訴えてきて、別な笑いに落ち着いている。アメリカのミステリー小説には、地域社会を心理コントロールして支配する原理が書かれている。社会実験もいくつかあるから、深刻な危機のあることが周知されている。スタンフォード大学の「看守と囚人」実験は有名でしょ。人の意識は簡単に操られるんやで。由良町では私一人が洗脳を拒否してきた。

虐待されて死んだ人たちは本当にお気の毒だと思っている。暴行傷害なのだ。殺人事件よ。町民はそれが面白いという。なんということだ。政治や行政が、ここまでペテンの再エネ思想にハマるとはな。問題の大きさを取り違えてはならないか。心理トリックが分からんか。仕組まれた罠がある。それ以上に、人々の心理にはパニックになった被害者たちの苦しみがおもしろい。

自主的な笑いが沸騰する。手を叩きながらジャンプして、クルッ、クルッと回って踊るんやで。そんなに嬉しいのかい。人々も一緒になって笑っている。風力発電の被害症状、社会の有様が分かるかい。