風力発電が出来て、たとえ被害感覚はなくとも、ヘンな人になったり、心筋梗塞などの死に至る病に倒れた人のいることは伝わっていると思う。「関係ない!」と怒り出す人もいるから、そんなに感情を剥き出しにするんだから何か理由がありそうだ。私は、由良町ではすっかり嫌われ者になっているからね。風車じゃないよ、私に対してだよ。この辺の心理工作は実に見事でな、総スカンの議員選挙とか、村八分とか、至れり尽くせりの地域対策の有様を体験してきた。
本当は皆さん何もかも知っているんだよ。その例として、水俣市や福島の地域対策を紹介してきた。世界的に有名なことは、あまり日本人には自覚がないように感じている。認識できないんだね。鈍感というのか、バカなのか、実際にその地域の人と話すと通じないことの不思議があるでしょ。私はそれを風土病だと思っていた。水俣の風土病、地域病なんだと。原発でも、そこに住んでいる人はなんかヘンでしょ。
原発は特別でな、関係者はすべて宇宙人のような感じになるらしい。古くから住んでいる人の中には、反感を秘めた人がいるけど、表面上は分からんわ。あれだけ悲惨な原発被害に遭った福島でさえ、東電という組織人を心配している。倒錯かいな、と笑ってしまう。なにを考えているんや、とその人を見る。なにも思考や意思はないのさ。せっかく大学を出てエリートさんだったらしいのに、いざ事件に遭うと、まるでロボットの様に指示された言葉を繰り返している。
アホなんや。被害者になったら【止めろ】というのが当たり前なのに、その言葉を声にして言うことはない。黙っていた方が得や。沈黙は金、と信じ込んでいる。家族はとうに県外に逃げ飛んでいるのに。被害を訴えたらどうなるのか、日吉フミコや原田正純はエライ嫌がらせに遭ったんでしょ。泣いて怒ったと書いてある。私もやられているから、つい笑った。役場の側になって被害者をイジメて喜ぶ。
言葉だけではなく、嫌悪の行動に走る。これが地域の繋がりか、と笑ってしまう。泣いて電話してきた被害者がいた。怒りの言葉を連ねる奴もいたかな。被害者は少数だからね、権力側の悪党は強いわな。私の住む門前地区でもな、話には聞いていたけど、その人の本性をこれでもか、と見せられた。感動の一場面よ。もし風力被害がなければ、こんな感動的なドラマを見ることもなかっただろう。
低周波被害は人の精神をハイにする。高揚感に舞い上がるのだ。私に【アホよら】と叫んだ人も、絶頂感に満足の笑みが垣間見えた。『死に山』の記述にも、ドイツナチスの演説会に低周波音を利用したと書いてある。性格がな、攻撃的になるんだよ。東伊豆町の報告書にもその言葉があった。世界共通の認識がある。危険だ。まるでゴースト(幽霊)に憑かれたようだ。気持ちの悪い空気に包まれる。
得も言われぬ不快感に、体験者はその異常な感覚に酔いしれたことだろう。被害者にとっても、加害者にとってもな。煽られたんやで。「明日では間に合わない」とな。テレビでやっている再エネのコマーシャルは、心理操作に満ちていたでしょ。それで何かの役に立ったのかい? 検証とか、報告の類いは一切ない。詐欺なのに、誰も反論の意思がない。家畜化されているのだ。いや、もう分かっているように、日本人には思考も意思もなくなっていた。
各地でやっているペテンのエセ反対を見たら分かるだろう。「考える会」、誰が考えるんだろう。可笑しなネーミングだと感じないかな。私の代わりに誰かが考えて教えてくれる。そんなバカな話なんやで。洗脳やないか。いいように操られる。その原因は、やはり人々の転落にある。自業自得か。由良町では誰一人として風力被害も反対も言葉にすることはない。全国どこでも同じでしょ。
これだけ風力発電の低周波被害に苦しみ死んでいった人を見ながらせせら笑っている。海外の風力反対と、何という違いだろうか。その違和感さえ通じることはない。水俣や福島で見ている通りだ。奴隷かい、とアホらしくなる。嫌ならどこかへ行ったらいいでしょ。無責任な話よ。被害者よ、我慢していたら何かいいことがあるのかい。正義感、矜持に何かできないかと思う人もいるだろう。
お花畑に捕らわれるか。環境ゴロや御用学者のアホ話に喜ぶか。幕末、大塩平八郎の乱は江戸幕府を終わらせた。きっかけは、誰かがやることだ。テロじゃない。時代の救世主だ。だから今もたくさんの物語やドラマになって語り継がれているでしょう。「考える」じゃなくて、やろうじゃないか。風力発電も原発もいらんで。



