地域社会は破壊された。

風力発電の被害を見て、個人の変化、隣近所、町として、社会が暗闇に覆われたように、毒ガスが広がっていくようにして権力に支配されていることが分かったと思う。由良町で見たことは、全国各地で、同じパターンになっていることが分かる。私はよく、差別の厳しい地域だから、という言い方をするけれど、水俣病もそうだったし、隣の風力被害地も、似たような社会的な背景を持つ。

広川風力なんて、原発予定地だからね、広い砂浜の海水浴場を見て、周囲の山々に風車が林立する。その向こう側が由良町だ。原発にしろ、風車にしろ、どうしようもない地域だと判子を押されている。住民込み込みの地獄行きだ。内部に裏切り者がいる。議員や政治の悪巧みよ。私は50年前の原発反対のドラマを見たり聞いたりしているから、今回も社会正義が明らかになると思っていたんだよ。

高校や、小・中学校の先生にもそういう環境論の人がいた。一般の漁師にもな、まだ福井の原発銀座のない時代に、危険性を察知する人は幾らもいた。福井では、さらに原発新設を誘致しているでしょ。昔あった反原発の人は、とうに入れ替わっていて、奇妙な言葉でヌクレア(nuclear)と言っている。彼らが何を言っているのか誰にも分からない。再エネが必要だと言っていたか。

まるで人工芝、地元合意のプロパガンダだった。人間の考えは書き換えられる。誰か、福島原発で「反対」と言ったかね。お手上げなんでしょ。汚染された土砂を集めて野菜作りに利用するとか、狂てるわな。由良町だけでなく、全国の風力被害地で、誰も何も言えなくなっている。摺り込まれた「土砂崩れ」だの「自然エネルギー」だのと、同じセリフを繰り返すばかりよ。こんなにロボットにされてしまうんやね。

原発に関係するとヘンな人になる。職業病みたいなものだ。今回の風力被害でも、環境運動家には多くの原発関係の人がいたと思う。環境ゴロ、環境運動家、野次馬と言えばよいか。私の上司が高浜原発の建設課長で、私も多少の関りを持った。だから少しだけ内幕を見て知っている。結論として無責任、だと思っている。カネになればよいのか。誰も反対できなかったのか。

それは政治でも行政でもなく、そこに住む人たちが、人間の尊厳をかけて戦うべきものだったのだ。由良町を見たら、真逆だけどな。あの時、原発反対した日高町や、湯浅町の人らが懐かしい。何の関心もない由良町の人の中にも、原発反対の闘士がいた。嗤われても良い。変わり者となっても、死ぬまでその時の感覚を嬉しそうに話してくれたもんさ。誠に正義をもって戦ったという。

バカにされたり、ヘンな目で見られたことさえ、誇らしかった。だから今、和歌山には原発がないんや。どうだ、ということらしい。そんな人たちも今はない。出会いには恵まれたと思っている。その人たちにはいつも感謝している。もし私が黙ってしまったら、日本では誰も風力発電の被害を明らかにするものはない。ペテンのエセ、ウソ付きばかりになる。それぐらいの自負はある。

天狗さんで結構さ。世界的にはとうに結論がある。私なんか踏み越えて、もっと新しい風力反対を唱えないか。「移民と再エネ」日本は今、エライことになってるで。由良町はその最先端の崩壊を見せてくれている。社会の崩壊だ。