何も感じないという人々の無関心を見よ。

由良町は小さな谷あいの町だから、風力発電の被害を知らない人なんかいない。「風力の被害など聞いたこともない」と私に叫ぶ人は、異常な精神に高揚している。なぜな❓ と私は思っているけど、危険な感情をぶち当てられるから、ワッ、スゴイと引き下がる。そんなアホ相手に何を言っても始まらない。彼らは勝ち誇っているのだった。ごく初期のh23 ~ h24年にかけて、3か月ほどだったか、被害者たちと手を取り合って話したことがある。

みんな私の事をよく知っていた。敵意はまだない。こんなになるとは思わなかった、と正直に経緯を話したものさ。もちろん風力被害を否定して笑う奴はいた。まだその時にはスパイ工作員の意味も分からなかった。h20年から、すでに被害と現地対策は進んでいたのだ。他の風力地では、広川町とか下津町とか、被害が明らかになっていた。弾圧の酷さもな、隣町だから伝わる。私も懸命に話しかけていた。

親父もまだ生きていたから慎重に、内密に、情報を集めたものさ。結局彼らは私を拒絶した。総スカンだった。6人ほどの被害者から、「助けてくれ、何でもする」と依頼されていた。泣いて頼んでいたのに、コロリ、と裏切る。汐見文隆、窪田泰さんも同じ体験をしている。ウソ付きばかりだよ。それ以降、私が被害者たちと議論することはほとんどなかった。いろんな話は聞こえて来たけど、ガセ、ワナ、胡散臭いんだよ。

バカにされて、汚い言葉で叫ばれていた。誰がそんな奴、相手にするかいな。これも仕組まれた罠だと知りながら、相手のあることだからね、被害者本人の意思が優先する。秘密結社「考える会」のオゾマシサを見る。被害者を集めてデータ集めしたり、生体実験にするドラマを見た。死者を指折り数える。地獄の風景なのに、誰も反抗できないのだ。仲間意識でもあるまいに、お互いに傷をなめ合うとか、地域の問題だとか、心理トリックにハマっていたことを見た。

アホらしくてさ、なんやコイツラわ、と嫌悪でいっぱいよ。聞いていた差別視が、私にも十分に伝わる。これは彼らの問題なのだ。せいぜい苦しめばよい。隣り同士で罵り合う。奇妙な田舎社会の典型だ。私の住む門前地区でもそうだからね、その上にはまだ上がある。恐れ入るよ。たぶん皆さんは洗脳支配されているから、「ワシらは何も感じない」と私に笑いながら言う。「ウチはどうもないんだよ」と喜んでいる。

風力に対する「ナニか」意見のようなものはどこにもない。無関心を自慢するか。特権階級とか、安全を保障されたんだろう。門前地区だけでなく、由良町のどこへ行っても人々のセリフは決まっている。まるで映画の一場面を見るようだ。人口5000人の小さな町だからさ、いいようにマインドコントロールされるわ。みんなとても幸せそうに笑っている。被害者たちの裏切りよ。

低周波被害の苦しみよりも、死ぬことよりも、みんなと一緒に、社会との繋がりが大切だと抜かす。生贄にされているのに、地域の一員として・という。人柱だよ。カルトだ。それを町民たちは納得して儀式にして暮らしている。ハリウッド映画のストーリィにも同じ構成があった。しょせんは社会心理学の帰結だ。仕組まれた罠に組み込まれて動いている。逃げ出すことはない。

h18年の東伊豆町では、たくさんの被害者が自宅を捨てて逃げ出したという。別荘地だからね、金持ち喧嘩せずだった。南伊豆町もな、下津町でも家族そろって逃げ出している。弾圧が凄かった。県は、町は、政治が、こんなにしてまで被害者を叩きだす。地域の人々は大喜びさ。有田平野では「本当は土砂崩れなんやで・」と山々の風車を見ながら言うのだ。どこにそんな土砂崩れがあるのか知らんけど。

大っぴらに私にそう告げるんだから自信たっぷりよ。ここにもせせら笑いがある。人の不幸が面白い。海外でやっている風力反対デモとは、何たる違いよ。この格差、意識の違いに、日本人の特殊性を見る。じつに日本だけ、これだけ風力発電の低周波被害に苦しみながら、誰一人として「風車を止めろ」、「風車を撤去しろ」と抗議する人はいない。私一人さ。今では狂人にされている。

どっちでもいいけど、人が苦しみ死んでいくのに笑って喜ぶ奴と一緒にされたくはない。「関係ない」とまだ言うか。非人間。人間の否定。家畜化。風力発電の本当の現実を見る。東北地方の秋田や山形でも同じでしょ。彼らはとても喜んでいる。日本一だって。何も分からないらしい。何も感じないらしいのだ。由良町の事だよ。人間とは何か。こんな考えをめぐらすことはもうないのか。Philosophy、知ること、考えてみる、日本人にはムリかい。