日本だけ低周波被害を否定して喜んでいる。由良町は長さ4㎞の細長い谷あいの町でな、山々に林立する風車群が低周波音を発している。酷い時には2㎐で85dbもあったよ。音圧がすごくてな、ガンガンに圧迫感があるんやで。重症の被害者たちはすぐに死んでしまう。みんな助けを求めたのにさ、「そんなこと言うのはアンタだけだよ」と言って笑いものにした。風力被害の分からないものなどあるかいな。
それぞれに「アンタもそう言われたんかい。私もよ・」と手を取り合って泣いたという。なんとイジマシイことよ。そして死んだ被害者の数を指折り数えていた。私もいつ死ぬか分からない、と言いながら。特殊地域だから全国の注目になっていたよ。環境運動家や「野鳥の会」などの自然保護団体とか、被害者を叩くために、地域管理のために、視察とか言って押し寄せたもんさ。その経緯はこのページで順次記載してきた。
私も初めは何が行われているのか、暗中模索でな、役場に聞いたら何か分かるかもしれないと、何度も聞きただしたんだよ。そしたら彼らの正体が丸見えになる。彼らは何もかも知っていた。被害者を予測して、風車を建設して、さらに風車群の計画を進めていた。イケイケ・ドンドン、風力の時代だ。凄まじい弾圧に遭ったことは新聞記事にもなって笑いものよ。人口5千人の小さな町だから、住民は何でも知っている。
いや、情報管理された洗脳だけが言葉になってあふれていた。「ワシらは何でも知っているんや」とな。大学を出た人もいるだろうに、誰もこの異変、異常な被害に気が付かないのだ。h19年に汐見文隆医師が由良町に来て勉強会をやったと聞いている。資料や冊子を配って、風力発電の被害を伝えたという。反感だけを聞いたよ。風力は関係ないってさ。おかげで私は二番煎じになって、鼻からバカにされて笑われている。
アホよら、とな。彼らは一応、風力被害の話を聞いて反応した。なにより現実の被害を見て聞いて、何も知らんふりをしている。関係ない。風力被害を言ってはならないのだった。ボロクソな弾圧よ。生贄祭りよ。被害者に対する憎しみや怒りを聞いたんでしょ。人物破壊というより殺人やった。ロボットの様になる。薄っぺらい紙のような人になる。全国の風力被害地でも伝えられる通りさ。
私は村八分の変わり者になっているけど、町民の悪意は絶えることはない。ネジを巻き続ける。私が風力発電の・と言おうものなら、アッ、それアカン、と言ってさっさと逃げ飛んでしまう。見事な地域支配を見ている。ご自分も被害環境にありながら、被害者の苦しみを見ながら、まるで家畜やで。人間としてのプライドがない。役場の人形やな。人の不幸が面白い。あんなになりたくない。アホよら、と言っている。
カラッポな人間性よ。被害者はたくさんいるけど、誰一人として、その苦しみを言葉にすることはない。たまに低周波被害の苦痛を伝える人はいるけどな。すぐに裏切るから、私はもう相手にすることはない。早く死にな。そう笑ってやる。私を恨めばよい。それで済むことならな。今ではすっかり人々の憎しみの的にされている。「由良さんのセイでこうなった」とな。良かったじゃないか。
私もな、汐見文隆のセイで低周波被害が明らかにされたと思っている。もし汐見先生や小林先生がいなかったら、日本に低周波被害はなかっただろう。環境省や国、政治家の言うように、因果関係はありません、で済んだ話よ。世界中の常識があっても、日本では通用しない。「由良さん、ここは日本ですよ。なにを外国のコトばかり云うんですか」となる。役場の見解だ。恐ろしい地域支配を見る。
なにより被害者はそれぞれに泣き叫んで死んでいった。それを笑いものにして喜ぶか。役場や地域の人々の異常な状態に、エライものを見てしまったと思うのだ。毎日こんな記事を書いていると、何が真実か分かってくる。もちろん生きるために書いているんだが、なぜこの人は風力被害を否定して喜んでいるのかと、心の有様まで見透かしている。無責任な言葉とせせら笑い、人の不幸が面白いのだ。
憎しみの吐け口が、被害者たちへの罵声だった。それを聞く被害者たちも泣いて喜んでいるから地獄の風景よ。地域支配は完成している。水俣病とそっくりだ。差別が根底にある。汚らしい奴め・と嘲笑う。士農工商と身分社会が蘇る。役場は武士か、違うだろう。私なら三日持たない。いや半日も座ってられない。虚構の世界を見る。被害地はどこでも同じでしょう。うまく騙したつもりでも、初めから分かっていることだ。人の転落を見る。
https://yuramorio.com/2018/01/page/5




