情報操作、痴に至る病

テレビや新聞は、風力発電の被害は絶対に伝えない。コマーシャルばかりよ。インターネットでもな、AI、ウィキペディアを見たら、被害を否定する言葉が並んでいる。英語で検索しても同じことだ。日本ではな、「風力発電反対」とか、「風力発電被害」と検索すると各地の自称・反対が賑わっている。環境省の被害否定もあって、公害論として、なかなか立派な世界を構築しているのだ。ウソ八百だけどな。

もう私のホームページは跡形もない。すべてはペテンのイカサマ記事が覆っていた。「由良町、風力発電被害」と検索すると、頭から「被害はない」と出てくるからね。いかに情報操作が徹底していることか。かつて水俣病の時も、シツコク水銀被害を否定していた。今もやっているから、被害者さんは大変だ。世界では、なんで水銀被害じゃなく、「水俣病」なのか、その理由を明確にしている。人災なんだよ。

被害を分かってやっているから、人権蹂躙、殺人事件だというのだ。水俣病のカラクリと、風車病の仕組みは同じものだ。水銀と、危険な低周波音、外因性の疾患だ。原因があるんだよ。それを否定するから、信頼も社会性も無くしてしまう。被害者に対する差別視、優越感、嫌悪、タブーにして喜ぶか。被害否定のトリックは簡単な心理操作だ。「アイちゃんはウソをついていたんやと」由良町ではよく聞かれた話だ。

死んだらもう大喜びしていたからね。役場が、議員たちが、何を喜んでいるのかと思ったら、アホ丸出しの風力被害否定のセリフだった。人の死がそれほど面白いか。こんなに狂うんや。葬式でも言うからね。「オマエはまだ言うてるんかい」と怒りを露わにする。ヒャー、ファシズムや。みんなが同じ言葉を話している。「被害はない」なんでや。一人一人に、よくも同じ言葉を確実に摺り込んだものだよ。

感情を抑えきれない人は私に叫びに来たからね。よっぽど正義感にかられたんだろうて。「風車はワシらのもんや」と誇りにしている。被害者も多くいるだろうに、この大衆支配は、心理コントロールの有様は、見事と言うしかない。風車の麓には今、新築のマイホームがたくさん建っている。水俣にもそんな現象がありましたな。それらは今は廃屋になって放置されていると聞く。大体なぜ風車の麓に住みたいんだろう。

土地が安いとか、地域サービスがいいとか、理由があるんだろう。もし低周波被害に遭ったら、どうするんだろう。試しに何度かよそ者に聞いて見た。風車の下に暮らして被害は無いのかい? 怒られたよ。「ない」、被害など何もない、目を怒らせて、怒りに震えていた。あるは嫌悪の表情を見せられる。お門違い。奴隷か信者なんだろう。私とは関りのない人たちだ。既に新しい社会を築いている。

ミラクルワールドや。これまでの歴史もなく、取って付けたような、古くからの住民も交えて、楽しくやっている。被害者はどうしたんだろう。私はもう聞くこともない。それは私の住む門前地区でも同じことで、すっかり断絶になっている。べつに不自由なく暮らしているからね。低周波被害があるけど。人々は特異な社会政策に、何も感じないんだろうか。風力発電という巨大な利権構造に、自分たちがいかに関わっているか、洞察はないんだろうかね。

それが痴に至る病となる。知れ者よ。知ってはならない。言うたらアカン。「ワシらは何でも知っているんや」というからね。家畜化されているやないか。自分たちが、どんな環境に置かれているのか、知らなきゃね。それが新聞やテレビ、インターネットには耳触りの良い【環境】になっている。被害者がいて苦しんでいることは知っているのにね。不思議な人間のサガだよ。アホとしか言いようはない。

実はこれ、日本だけの特殊な社会政策だ。世界ではどの国でも「Stop wind turbines !」(風力発電を止めろ)と抗議している。笑って喜んでいるのは日本人だけだ。鴨葱よ。奴隷制度と言ってよい。被害が嬉しいのだ。利権構造がある。被害者でさえ、「私たちは風力発電には反対ではありません」という。倒錯した人々よ。ドンドンと各地に風車が立つ。カネのなる風車よ。

目的はカネか支配か、お祭りか、奇妙奇天烈な環境論になっている。私のような敏感者には、とても住めない環境になる。私は鈍感な質だったんだよ。どこで入れ替わったんだろう。風力の低周波被害だ。被害者の諸君は気が付いているだろう。