洗脳、心理コントロールが覆っている。

由良町の人たちに聞いて見たらよく分かる。役場でもいいけど、みんな同じ言葉・セリフを順序良く話すんやで。こんなにも学習するんや、操られるんや、とロボットになった有様に驚いてきた。こんな観察は、他の風力地域でも同じでしょ。今ではすっかり忘れられているけど、全国で有名になった東伊豆町の風力事件を見たら、何が凄いのか分かると思うのだ。東伊豆町に住みながら、風力発電の被害を知らないというのだ。

h18年の事だから、もう20年も経つからね、いや、今も被害者がいて苦しんでいるだろうに、「ない」ことになっている。あるのに「ない」、それが風力発電の低周波被害だ。この対策は水俣病と同じやり方でな、地域対策の罠が完璧だ。水俣学において~、というからね。あの真実に迫った極限で、水俣学という言葉に収斂する、その悲惨な歴史を嘲笑する地域対策の現実よ。国家権力の恐ろしさを見る。

エセ学者もエセ環境運動も、地獄に落ちろ、と思わないか。そう思うのは私一人になっていた。悔しさもないらしい被害地域の荒廃した社会を見る。風力発電賛成、絶賛する人の奇妙な精神よ。こいつはアカンな、と自分とは違う価値観に驚いていた。風力の被害者がいて苦しみ死んでいる。関係ない。アホよら、という。それだけの事なんだが、こいつは何で喜んでいるんだろう。私も風力の低周波で苦しんでいるからさ、余計に腹が立つのさ。

低周波被害者になると大体は頭をやられる。精神破壊された悲惨な姿に、こんなになるんや、とどうしようもなくなっていた。地域対策の弾圧もあるしな。人は暴力を振るわれると簡単に動物になる。低周波と洗脳、社会化、まるで家畜じゃないか。新聞やテレビでは絶対に風力発電の被害は伝えない。インターネットも、すっかり被害隠蔽の、精神支配の罠になっている。「由良守生」と検索したら、画像欄は風車のコマーシャルになっている。

出てくる欄も、否定的なコメントが付いている。由良町議会での追放劇もさ、最初から作り話やったんやで。私は実績作りしたつもりでも、彼らは大喜びして「ウソつくなっ」と怒鳴っていた。今ではとても懐かしい。役場が、議員が、こんなにまで狂うんや。いいもの見せてもらったよ。先祖の由良守應の追放にもそんな罪状が残されていて、同じやり方や、と気が付いていた。守應の場合はよく首をはねられなかったものだよ。

紀州藩に我家の出世した人がいて、その縁で助かったんだろうと思っている。役所とはそういうモノらしい。もちろん人々の笑われ者でな、昭和30年代になっても、「守應は刑務所に行っていたんやで、」とからかわれたもんさ。子供がそんな事件を知るはずもなく、大人たちの評価がそれだったのだ。私は、今の私に対する批判も、こんな歴史的な経緯が地域の精神性にあると見ている。

貧乏な百姓暮らしでしかないとは思っていても、人は誰もそうは言わない。「アカンて」親父はそのように遺言した。少し古文を解説すると(教育委員会の資料は機密になっている)、大阪へ行く途中で商家(灘屋)の養子になっていた由良町の人が、差別地の人だと知っていて、黙っている代わりに金品を受け取った、と書いてある。その人を皮田(カワタ)と書く差別心よ。罪を作り上げる役所とはこんなものだ。

私の罪状も凄かったで。議会や役場は大喜びよ。もちろん被害地でもな。やがて風力裁判になると、警察や検察、裁判所が襲い掛かる。いや、地域の人たちの嫌悪や敵意がむき出しになる。こんなになるんや。私はモノスゴイ災難に遭ったけど、谷口さんら被害者の死を見て知っているからね。由良町の人たちの精神性をこれでもかと見ていたもんさ。被害が面白い。人の不幸を見て笑う。人の悪口ほど楽しいものはない。

誰一人として、【止めろ】というものはいなかった。私も言わなかった。感動、というものでもないし、アレアレ、すごいじゃないかとお祭り騒ぎを見渡していた。総スカンだったけど。村八分もこんなに面白いんやで。現実の被害があるからこそ、人々は真剣に私を弾劾した。「被害など聞いたこともない」とな。一人一人に、どうしてこんなセリフを摺り込んだのかね。私も結構、真面目に風力の資料を配って説明したんだよ。

汐見先生からもたくさんの冊子や資料を渡されていたしな。由良町のクリニックに届けてくれ、とか。真実の被害を伝える情報は、確かにあった。それなのにこの顛末だ。人は、見たいものしか見ないんだよ。山々に林立する風車なんか、どこからでも見えるし、騒音も低周波も知っている。それよりも面白いやないか。被害がな。被害者がな。私を抹殺することが全体意思となっていた。東伊豆町でも同じでしょ。水俣市でも。作り話が面白い。末期症状、限界状態やで。

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