20年以上昔の事になる。両親がたくさんの蜜柑畑を経営していて、一人では対応できなかった。それでニーダたちをアルバイトに雇っていた。日本人の夫がいて、暇だからカネを稼ぐのだという。フィリピンの実家にカネを送って、それで土地を買って家を建てたという。畑も手に入れたので百姓をするつもりだと将来の夢を語っていた。ひょっこりと訪ねてきた。なんせ昔の事だから誰か分からない。
ヘンな日本語で「ユラさ~ん」と玄関先で呼んでいる。夫が亡くなったのでフィリピンに帰っていた。でも何もすることがないのでまた日本に来ました、というのだ。70才を過ぎている。仕事をするには、給料を支払うのは、少し難しい。手土産に「みたらし団子」のパックを持って笑顔で話しかけてくる。日本人に話すのがとても嬉しそうだった。「あぁ、ニーダさんか」年取っていたから顔付まで変わっている。
スペイン人の血が入っていると言っていた。社交的なんだろ。実家のフィリピンで何があったのかは聞かない。せっかく、せっせと送金して建てた自宅を出て、また御坊市の住宅に住んでいるんだろう。ニーダ、だけじゃないけど、来日した外人さんが日本をよいと思っているらしい。私だってそんなに親切にしたわけじゃない。季節労働者として数年利用しただけだ。
逆に、日本人が海外の住宅に移住する話も聞いている。結果として、あまり良い話は聞かない。夢を追い過ぎだ。日本もなぁ、息苦しいんだよ。それを分かってないな、といっても通じない。まあいいか。出来高生産で、低賃金だと伝えておいた。社会との繋がり、それも彼らの目的だ。当時、台湾の南の島で、高校を卒業して百姓をして暮らす青年がいて、「日本での生活を体験してみたい」と言って訪ねてきた人がいた。
私の生活がそんなに良いのかね。今も、たまにそんな人がやってくる。イスラエルやパレスチナの人はすべて断っている。怖いじゃないか。やはり平和が一番だと思い直したよ。





