風車の被害を受けて、喜ぶ奴は誰もいないと思っている。たまに、「もっと風力発電を建てたらよい」という人もいるけど、倒錯でな、トチ狂った本性を見るのだ。それも低周波被害の影響だと見ている。精神被害の一つだ。男でも、女でも、それはある。由良町なら目の前に風車が林立して回っているから、とても具体的だ。有田市に行くと、3~5㎞離れた山の上だから、もっと人々の反応は他人事になる。
風車の麓には被害者がいる。タブーになっていて、絶対に人は何も言わない。これだけ徹底していると、「なぜや」と思う。深刻な理由があるからこそ、人々は口を閉ざすのだ。恐ろしいまでの秘密主義になっている。そこに「私たちは土砂崩れが心配です」ときれいなパンフを作って喜んでいるんだから、環境運動家、地域対策も悪いわな。インセンティブ、ネジを巻いているのだ。
今、ミカンを買いに来てくれる人が言うには、「知りませんでした」というばかりだ。いや、知っているからXの記事を見てくるんだけど、決して踏み込まない。関係ない。それが見ていて恐ろしい。由良町の人も怖いけど、有田市の人たちもな、典型的な差別意識に首をすくめて笑うのだ。雉も鳴かずば撃たれまい。沈黙は金、かい。その被害地の下津町大窪地区周辺には、まだまだ被害者がいるだろう。
あの寂れようはどうだ。社会の疲弊、打ち捨てられた人々よ。もう知る人もないという。誰も何も言わないんだって。生贄よ。それが目的であったことは見ての通りだ。「風車は止められないよ」何度そんなセリフを聞いたことか。言葉の暴力に人々は満足する。私をアホにして終わる。被害者、苦情者、「被害はない」とする。世界でも特異な弾圧やで。儀式なのだ。過疎、崩壊、水俣病の通りだ。
やられましたな。私一人が風力発電の被害を訴える。繰り返す、土砂崩れじゃない。バカにするな。





