今朝の産経にはインターネットでの「反響室」を書いていた。私がインターネットニュースを見ても、自分の嗜好に合った情報ばかりが集められる。自然に思考の幅は狭まれる。誤解するようになる。SNS、Xが特にそうだよな。破壊工作員にはブロックして拒否しているけど、私の発信する投稿が、どんな人に届いているのか怪しまれる。最近は反応が少なくなった。「同じことばかり言う」マンネリ化、そんな所だ。
風力被害に遭って苦しんでいるから助けてくれ、と言っている。これまでも被害者がたくさんいて苦しみながら死んだでしょ。それを笑いものにするんだから、とうに倫理観は崩壊している。それだけのレベルの低い人でしかなかったのだ。扇動されたのか、自ら高揚感に舞い上がったのか、被害者を否定して笑って喜んでいる。そんな悪党に賛同して、すべての人が大喜びする。私の近所の人を見ると、全員だよ。
そうりゃぁ、総スカンされるわ。親も私も、親切にした人から敵意を向けられる。情けは人の為ならず。結局は恨みを募らせていたのだと気が付かされる。私が特に、というわけでもない。畑地区ではその人を殺してしまっている。さすが差別地だと思う。ほっとけ、と親父は言った。その通りだ。私はまだ生きて抗議の声を上げている。だから由良町では人々の憎悪が私一人に収斂する。
何はともあれ、由良守生の悪口が欠かせない。「被害はない」と囁き合って笑う。動物園になっているのに、それがまた面白い。絶望と、諦めの被害者たち。挫折じゃない、薄っぺらな、カラッポな住民たち。人間じゃなかったんや。Youtube動画にもたくさんの風力動画をアップしているけど、もはや見る人もいない。代わって、ペテンのエセ、反対? 奇妙な環境運動家たちが賑わっている。
お花畑、人工芝もここまで進化した。日本人はこのレレベルから出ることはない。全国の風力被害地を見たら分かる。水俣市とソックリだ。風力の異様な空気、それがなくとも、日本では今、過激な破壊が求められている。壊れゆく社会現象だ。移民政策、再エネ推進、政治も行政も、太平洋戦争みたいやで。地球温暖化かい。







